無料ブログ作成サービス JUGEM
緩やかな滑り出しー新中1スタートー
0

     

    今年の新中1は緩やかにスタートした。始まって約4週間たつが、英語はまだ単語のトレーニング、数学も正負の数の乗除に入ったところだ。

     

     

    勤務時代はとにかくスタートダッシュが肝心とばかりにかっ飛ばして授業をやっていたが、自分で塾を構えてからは中1の出だしは年々ゆっくりになっている(中2、中3はまた別だが)。今年はおそらく過去最もゆっくりで、なんだか自分でも心配になるくらいだ(笑)

     

     

    ゆっくり進める理由として、1つには「中1の最初からクラス定員がいっぱいにならない」というのがある。恥ずかしい話でもあるのだが、事実として進学塾Uineは中1の初めは大抵定員に余裕がある。徐々に入塾が増え、中2の初め頃にほぼ定員となる感じか。そんな状況でハイスピードで予習授業を行ったら、さすがに新入塾生の負担が大きくなりすぎてしまう。それを避けたいという思いが1つ。

     

     

    「新入塾生の負担」と書いた。「負担」を「負荷」と考えれば、適切に与えることは勉強において極めて重要なことがらだ。負荷のないところに成長は乏しく、負荷を乗り越える格闘こそが中学生にとって成長の源ともいえる。

     

     

    負荷は一線を越えると負担になる。その見極めが難しい。24年この仕事に携わっているが、今でも悩むし、失敗もする。塾での失敗とはすなわち退塾のことだ。せっかく出会えた生徒との別れが己の失敗によるものだとすれば、それは申し訳なく、悲しい。

     

     

    失敗を怖れて指導を加減することは塾を作った当初の志に反する。それは最も忌むべきことだ。しかし、自分の理想に準じるあまり負荷が負担に転じるのは、これもまた教育の末端を担うものとして、慎まなければならない。

     

     

    こんな背反する思いに悩みながら、年々中1生の指導は緩やかにスタートするようになっている。もちろん次第にペースとテンションを上げ、「いつもの進学塾Uineの指導」になっていくのであるが(実は「いつもの指導」も年々穏やかになっている。これはまた改めたい)、中学進学と新たな通塾という環境の変化は、生徒達にとってそもそも大きな負担であろうという思いが強い。

     

     

    年齢とともに丸くなったのかなとも思う。別にとんがり続ける必要はなく、丸くなること、自信の変化を受け入れる気持ちもあるが、そうならば別の部分で強さを磨いていかなければという思いもある。教務の精度、働きかけの熟練、教育に対する学びなおし…プラスの変化の余地が多いととらえたい。

     

     

    今日は単語テストだ。これまで何度も何度も繰り返してきた単語、約50個をまとめてテストする。十分な負荷だろう。合格できなければもう1度やる。できるまでやるのがいつもの進学塾Uineのスタイルだが、日程や目標はやはり緩やかにいきたい。新中1生、まだ時間はたっぷりある。

     

     

     

    | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    都立入試終了
    0

       

      都立高校の合格発表が行われた。進学塾Uineでは今年も残念ながら合格させてあげられなかった生徒がいる。その非はすべて私が負いたい。私の生徒は、みな最後まで努力した。その「受験道」は決して恥じるものではなかった。ただ、受験の神様が本番で少しだけそっぽを向いてしまったのだ。

       

       

      ふり返ってみて、今年の都立入試も前途多難を予期していた。12月、冬期講習直前の時期にまず大丈夫だろうと見込みを立てられたのは1名のみ。ほとんどが模試では下位判定を連発したり乱高下を繰り返したりして、ギリギリとの予測を立てるしかなかった。

       

       

      それ以降は例年通り過去問演習とそれぞれの弱点補強を個別に行う形で進めたが、今年は直前で「繰り返し」よりも「新規問題」に当たることを重視した。これは機会を改めて書きたいテーマだが、繰り返しで力を身につけよう・安定させようとするよりも、新規の問題に当たって経験値を高める方が今年の中3にとってはよいだろうと考えたからだ。こちらの思惑通り、過去問演習を進めるに従って点数は安定し、直前に行った最後の2〜3年分は全員が十分合格ラインを超えるところまできた。

       

       

      ただ、まだ未熟な中3生の「気持ち」を仕上げるには時間が足りなかったと言わざるを得ない。今年は5教科通しての集中を養うため、また本番での緊張や不出来挽回のシミュレーションを経験させるために過去問演習をすべて塾で行った。土日を利用し、午前3教科、午後2教科を本番同様に行う。緊張を強いるためにことさら言葉がけも少なくし、生徒同士のやりとりも最小限にさせたりもした。昨年は自宅での演習が多く、それが本番での試験マネジメント力の不備につながったのではという思いがあったからだ。

       

       

      しかし、1回勝負のもたらす過度の緊張や1教科ごとの出来不出来に気持ちが揺らぎ、力を出せないケースが相次いでしまった。「気持ち」が弱い生徒は本番の緊張に耐えきれず、うわずった気持ちを引きずって時間ばかりが過ぎていってしまったという。いつも通りにやってくれば、いや、いつもより少し失敗しても大丈夫なところまで仕上がった生徒も、そうした気持ちの揺らぎを抱えたまま、過去問演習からは考えられない得点を取ってしまったりもした。

       

       

      高校入試はつくづく難しい。ここがうまくいけばあれがダメ、こちらを手当てするとあちらが手薄になる、なんてことがよく起こる。今年はトータルの学習計画、それをもとにした導き、そして何より、生徒達の努力はしっかり整っていたと思う。ただ1点、本番で力を発揮するだけの気持ちを私が整えてあげられなかった。

       

       

      生徒全員の、本当に全員の努力を十二分にねぎらい、私にとっての課題を胸に刻印してひとまず筆を置きたいと思う。

       

       

       

      | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      「受験道」
      0

         

        ついに都立一般入試が明日に迫った。進学塾Uineにおいては埼玉県私立入試から約一ヶ月続いた入試日程もこれをもってすべて終了することとなる。

         

         

        都立第1志望であっても私立第1志望であっても、私がこの1年呼びかけてきたのは「何かを残せる入試にしよう」ということだった。一生に一度の高校入試にどんな痕跡を残せるのかが高校入試の価値だと、常に呼びかけてきた。

         

         

        我々の仕事は合格させることが第一義なので、受験の痕跡だとか軌跡だとかは、実は大声で言うべきことではない。受験のプロフェッショナルとして、お預かりした生徒達を合格に導くこと。この1点に我々の存在意義は大きく拠っている。

         

         

        生徒達にとっても、受験は合格することが第一目標であることに違いはない。合格と不合格ではそれからの人生が少なからず異なることになるわけで、目標とする学校に合格できるかできないかは、それこそ天と地ほどの差が出ることさえある。いくら過程が素晴らしくても、結果が伴わなければ意味はない。

         

         

        しかし、受験を合不合だけに焦点化してしまえば、指導も勉強も道を外したものとなる。

         

         

        合格ばかりを追い求めれば、我々塾側は「育てる」ことを軽視しがちになる。畢竟「昔から通っているできない生徒」より「中途から通ってきたできる生徒」に視線と熱量を傾けるようになり、指導や塾運営がゆがんでいく。また不合格にならないことを優先する受験指導をしたり、上位の生徒には合格実績のために不要な受験を勧めることさえするようにもなる。

         

         

        生徒達にとっては「行きたい学校」より「行ける学校」選びが優先され、甘い態度でも合格できるぬるい受験勉強に陥ることもある。「早く決まるから」と私立第1志望推薦を利用したり、直前までフラフラしていても合格できるような超安全志向での入試を選択する者もでる。

         

         

        そして何より、「合格」の二文字は塾の、生徒の、こうした「不誠実な」取り組みをすべて消し去っていく。塾にとって「多くの(○○校)合格者を出した・都立第1志望は全員合格した」という「事実」は指導の内実を厚いベールで包み込み、また生徒達にとっては手に入れた「合格」の二文字が、それまでの取り組みの甘さやぬるさを消し去っていく。塾にとっても生徒達にとっても、「合格」は輝かしい未来をもたらすだけでなく、あらゆることがらをリセットする強大な力をも併せもつ。

         

         

        先に「道」と書いた。受験に「道」、受験道などないとも言えるが、私は目指すべき道が確かにあると思っている。志望校に対する熱い思いと、それを実現させるための努力と、合格の二文字。これらが揃って初めて「受験道」が達成できるのだと、いまあらためて思う。私は自分の生徒達にこうした受験道を歩むことを求めてきたし、その意味で過程の充実を常に意識してきた。それは合格の二文字ですべてを消し去るようなプロセスではなく、1日1日、いや、この瞬間この瞬間に気持ちを賭ける取り組みを求めることで築いてきたものだ。

         

         

        もちろん合格を得られなければ受験道は完遂したことにならない。不合格は決して取り消せない。やり直せない。道半ばでの受験道の終了だ。生徒も私も心のどこかに大きな穴が開き、その穴が少しずつふさがっても、その穴の痕跡は時に疼き、苦い記憶を呼び起こすこととなる。その責は塾だけが負いたいが、それも叶わない。合格はすべてのマイナスを消し去るが、不合格はすべてにマイナスを刻印する。

         

         

        ただ、道を求めた生徒達には努力してきた軌跡が残る。最後まで受験と真摯に向き合ったという態度は、彼らの中に無形の財産として引き継がれる。私たちは、合格の二文字ですべてを精算するような取り組みは決してしてこなかった。合格は努力の軌跡の先にしかないと、繰り返し確認しながらここまで歩んできた。その思いを胸に、生徒達は不確実な受験に対し気持ちを振り絞ってきた。

         

         

        今年の中3生、それこそ色々な生徒がいた学年だった。率先して努力に自分を没頭させられる生徒もいれば、部活優先で勉強がままならない生徒もいた。取り組みの甘さやいい加減さに対し、これだけ叱ったこと学年もないだろう。それでも、塾を信じてここまでやってきた。私はその1点において、進学塾Uineの受験道の充実をみたいと思う。

         

         

        すべての生徒が万全の体制で受験に臨むわけではない。それぞれがやり残しや未熟に対する後悔を抱え、本番に臨む。しかし繰り返すが、努力の軌跡は、それぞれの形で確かにそこにある。

         

         

         

        | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        塾で「囲い込む」 その2 −本番環境をつくる
        0

           

          (前回の続き)塾で過去問をやらせる際にルール化しているのは「可能な限り本番と同じタイムスケジュールにのっとる」ことだ。開始から昼休憩、終了時間まで同じにすることは無理であっても、最低5教科(3教科)を1日でやらなければならない。それもテストだけを、である。塾でやると言っても1日1教科、2教科しかやらず、しかもマルつけや復習などのインターバルを挟んでやっては「囲い込む」意味がない。塾での過去問演習は、あくまで本番のシミュレートでなければならないと思う。

           

           

          生徒達は業者による会場模擬テストを受けてくる。進学塾Uineでは6月から毎月1回は受験することにしているので、各自6~8回は受験する勘定だ。ここで本番シミュレートをして「テスト勘」を身につけたいところだが、やはりできない者が少なくない。

           

           

          例えば大事な模擬テストなのに、緊張感が高まらない生徒がいる。こういう生徒は1教科目の国語の偏差値が露骨に低かったりする。「朝が弱い」などの言い訳が出ることも多いが、普段から緊張感、集中感を作る習慣がないから模擬テストなのに低いテンションで臨むことになってしまう。偏差値のばらつきが大きい生徒というのも、緊張・集中状況をうまく作り出せていないことが多いと思う。

           

           

          また都立志望者の場合、試験後半の社会、理科の成績、とりわけ最後の理科の成績が息切れしたように下がる者がいる。こういう生徒を塾で囲い込んでみると、集中、緊張がもたないことがはっきり見てとれる。普段の授業では気持ちを適度に「抜く」ことができるし、学校の定期テストのように1日2〜3教科(しかも慣れた環境)しかやらないとこうした弱点をなかなか自覚できないが、模試を受けたり囲い込んで緊張を強いると「発覚」する。こういう生徒は本番でも午後のテストで「大怪我」をしてしまうことがままあるように感じている。近年、都立の社理の難化傾向はよく言われるが、その原因とも言える「長い問題文」を読み切って設問条件や意図を把握するのには、より高い集中と緊張が欠かせないからだろう。

           

           

          集中、緊張とは別に、過去問演習には採点という問題もある。生徒にやらせるのか、こちらがやるべきなのか。本来的には自律的な学習の一環として生徒自身に任せることが理想だろうが、やはりある程度教える側が介入した方がよいと思う。時間管理の適当さと同様、採点も結構ルーズにやる生徒が多いからだ。私の見ている範囲では正解数を盛って点数をつけるような不届き者はほぼいないが、そこまででなくとも記述解答を「似ているからマル」とやったり、得点の合計を雑にやる(たいてい自分に有利なように)などはしょっちゅうある。完全添削まではいかないまでも、採点はある程度教える側がコントロールしてできるだけ適正な得点化を図り、また出来・不出来、分が悪い項目等を把握するのがよいのではないだろうか(教えている人数にもよるが)。

           

           

          先週の土曜日、初の過去問演習を行った。都立受験組はまだ社理で終わっていない単元があるのでとりあえず3教科だけだったが、いやはや、私立受験組も含め「塾で囲い込むことにしてよかった〜」というレベルである(笑)実際は笑ってなどいられないのだが、生徒達の様子から考えると、模擬テストの出来もむべなるかなである。塾でやるわけだから露骨にだらけたりはできない(それでも朝一の国語では舟を漕ぎ出しそうな者がいた!)が、集中、緊張が途切れがちな生徒がそこかしこに見られるし、さまざまな個別の問題がはっきり見えてきている。これから入試まで毎週過去問演習を行うわけだが、そこで集中・緊張感を養いながら、本番に必要な問題マネジメント力を身につけさせなければならない。

           

           

           

          | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          塾で「囲い込む」―過去問演習はどうやる?―
          0

             

            今週より土曜、日曜を使った過去問演習を開始した。今年は(今年から?)過去問は生徒任せにせず、演習も含めてすべて塾で管理していくこととなる。

             

             

            これまで過去問演習は私が演習スケジュールを作って各自に進めさせ、塾では点数の把握・管理と質問対応、そして状況に応じた復習・補強作業の管理をしていた。一般的なやり方だと思うが、このやり方だとどうにも最後のひと伸びが詰め切れないという悩みがあった。そういう問題意識が「問題を解くことも含め、塾ですべて管理」とした理由である。

             

             

            当たり前だが、同じ塾とはいえ生徒達のもつ実力、とりわけ「自習力」はさまざまだ。過去問は自分でしっかり進められ、必要な質問を塾ですることで着実に力をつけていく者もいれば、自分では(自宅では)過去問が進められない者もいる。

             

             

            過去問を進められないとはどういうことなのか。そんなのただやればいいだけじゃん、と思いもするが、まだまだ未熟な中学生にとって、過去問をこちらが想定するような形で進めるのは結構難しい。

             

             

            過去問演習で一番重要なのは「時間管理」だ。厳密な時間管理を行うことで、「できる・できないの峻別」「集中感覚の養成―あと一問の上積み」「試験時間のマネジメント力」などを身につけられる。こうした力を身につけることで、過去問演習で期待される「演習→復習→得点力向上」というサイクルができあがる。しかし、雑な時間管理で過去問をやってしまってはそれがただの作業に陥ってしまい、実力アップ、得点力の向上は覚束ない。

             

             

            「時間管理」くらい時計やアラームで測ればいいだけだ。しかし、中学生にとってそれを厳密に運用するのはなかなか難しい。つまり、生徒達任せにすると平気で時間オーバーを許容してしまうという現実がある。あとちょっとでこの1問が解き終わる。あと1行で作文が書き終わる。そういう「あとちょっと」を大目に見てしまうということが頻繁に起きるのだ。中学生にとって規定時間が少し過ぎるくらいなら中途の問題は解いてしまうという「違反」を自ら戒めることは難しい。

             

             

            また「早く終わった」「時間がなかった」などの理由で規定時間通りにやらないケースもよくある。2回目、3回目の繰り返しの場合、マイナス10分、15分という設定でやらせたりもするが、1回目の演習は見直しまで含めた規定時間内に解くという体感を身につけさせたい。しかし早く終わればそれで終了の生徒、またきちんと時間をとらずにやっつけで終わらせてしまう(過去問が宿題・ノルマになっているのに終わっていない時によく起こるケース)生徒が案外多い。

             

             

            時間を厳密に管理しないと「集中環境」を作るのが難しくなる。時間に対してルーズな管理をする生徒は、場合によってはテレビをつけたまま(!)過去問をやったりもするし、そこまでの「猛者」は稀としても「過去問演習を始めてから計算用紙・コンパスなどを取り出す・探し出す」「音楽をかけながら」などは結構いる。「集中しない・できない」は時間意識の欠如の現れだとも言えるだろう。

             

             

            きちんとした時間管理によって集中環境を作ることには、集中感覚のシミュレートにより試験時間内での突破力を養成したり、50分のマネジメント力を身につけるという意味がある。

             

             

            試験本番であと1問の上積みができるのはどういう時かといえば、火事場の馬鹿力的な集中が実現したときだろう。「マズイ!時間が足りない!」「間に合うのか!?」という焦りと緊張が却って集中を生み出し、思わぬ力を発揮できることがある。こういう感覚を過去問での(もちろん模試も含め)時間管理を通じて身につけさせたいところだ。

             

             

            また入試というのは規定時間内でできるだけ高得点をとらなければならないわけだから、いわゆる「できない問題(『地雷』と言われたりする)」にかかずらうことなく、「できる問題」をこなしていかなければならない。ただ、これは言うは易く行うは難しで、中3生がそうそううまくできることではない。できるようになるには、高い集中力を発揮しながら失敗したり、うまくこなしたりするという本番集中シミュレートが絶対に必要だ。ルーズな時間管理ではこの力は身につかない。

             

             

            考えれば考えるほど、過去問演習は中学生にとってハードルが高い。私の立場としては自分で過去問ができるように育てられなかったわけであり、その点力不足を痛感せざるを得ない。ただ、もう四の五の言ってもも仕方がない。残り3ヶ月でどこまで得点できるようになるのか、できる手だてはすべて講じなければという思いである(この項、あと少し続く)。

             

             

             

            | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |