無料ブログ作成サービス JUGEM
都立入試終了
0

     

    都立高校の合格発表が行われた。進学塾Uineでは今年も残念ながら合格させてあげられなかった生徒がいる。その非はすべて私が負いたい。私の生徒は、みな最後まで努力した。その「受験道」は決して恥じるものではなかった。ただ、受験の神様が本番で少しだけそっぽを向いてしまったのだ。

     

     

    ふり返ってみて、今年の都立入試も前途多難を予期していた。12月、冬期講習直前の時期にまず大丈夫だろうと見込みを立てられたのは1名のみ。ほとんどが模試では下位判定を連発したり乱高下を繰り返したりして、ギリギリとの予測を立てるしかなかった。

     

     

    それ以降は例年通り過去問演習とそれぞれの弱点補強を個別に行う形で進めたが、今年は直前で「繰り返し」よりも「新規問題」に当たることを重視した。これは機会を改めて書きたいテーマだが、繰り返しで力を身につけよう・安定させようとするよりも、新規の問題に当たって経験値を高める方が今年の中3にとってはよいだろうと考えたからだ。こちらの思惑通り、過去問演習を進めるに従って点数は安定し、直前に行った最後の2〜3年分は全員が十分合格ラインを超えるところまできた。

     

     

    ただ、まだ未熟な中3生の「気持ち」を仕上げるには時間が足りなかったと言わざるを得ない。今年は5教科通しての集中を養うため、また本番での緊張や不出来挽回のシミュレーションを経験させるために過去問演習をすべて塾で行った。土日を利用し、午前3教科、午後2教科を本番同様に行う。緊張を強いるためにことさら言葉がけも少なくし、生徒同士のやりとりも最小限にさせたりもした。昨年は自宅での演習が多く、それが本番での試験マネジメント力の不備につながったのではという思いがあったからだ。

     

     

    しかし、1回勝負のもたらす過度の緊張や1教科ごとの出来不出来に気持ちが揺らぎ、力を出せないケースが相次いでしまった。「気持ち」が弱い生徒は本番の緊張に耐えきれず、うわずった気持ちを引きずって時間ばかりが過ぎていってしまったという。いつも通りにやってくれば、いや、いつもより少し失敗しても大丈夫なところまで仕上がった生徒も、そうした気持ちの揺らぎを抱えたまま、過去問演習からは考えられない得点を取ってしまったりもした。

     

     

    高校入試はつくづく難しい。ここがうまくいけばあれがダメ、こちらを手当てするとあちらが手薄になる、なんてことがよく起こる。今年はトータルの学習計画、それをもとにした導き、そして何より、生徒達の努力はしっかり整っていたと思う。ただ1点、本番で力を発揮するだけの気持ちを私が整えてあげられなかった。

     

     

    生徒全員の、本当に全員の努力を十二分にねぎらい、私にとっての課題を胸に刻印してひとまず筆を置きたいと思う。

     

     

     

    | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    「受験道」
    0

       

      ついに都立一般入試が明日に迫った。進学塾Uineにおいては埼玉県私立入試から約一ヶ月続いた入試日程もこれをもってすべて終了することとなる。

       

       

      都立第1志望であっても私立第1志望であっても、私がこの1年呼びかけてきたのは「何かを残せる入試にしよう」ということだった。一生に一度の高校入試にどんな痕跡を残せるのかが高校入試の価値だと、常に呼びかけてきた。

       

       

      我々の仕事は合格させることが第一義なので、受験の痕跡だとか軌跡だとかは、実は大声で言うべきことではない。受験のプロフェッショナルとして、お預かりした生徒達を合格に導くこと。この1点に我々の存在意義は大きく拠っている。

       

       

      生徒達にとっても、受験は合格することが第一目標であることに違いはない。合格と不合格ではそれからの人生が少なからず異なることになるわけで、目標とする学校に合格できるかできないかは、それこそ天と地ほどの差が出ることさえある。いくら過程が素晴らしくても、結果が伴わなければ意味はない。

       

       

      しかし、受験を合不合だけに焦点化してしまえば、指導も勉強も道を外したものとなる。

       

       

      合格ばかりを追い求めれば、我々塾側は「育てる」ことを軽視しがちになる。畢竟「昔から通っているできない生徒」より「中途から通ってきたできる生徒」に視線と熱量を傾けるようになり、指導や塾運営がゆがんでいく。また不合格にならないことを優先する受験指導をしたり、上位の生徒には合格実績のために不要な受験を勧めることさえするようにもなる。

       

       

      生徒達にとっては「行きたい学校」より「行ける学校」選びが優先され、甘い態度でも合格できるぬるい受験勉強に陥ることもある。「早く決まるから」と私立第1志望推薦を利用したり、直前までフラフラしていても合格できるような超安全志向での入試を選択する者もでる。

       

       

      そして何より、「合格」の二文字は塾の、生徒の、こうした「不誠実な」取り組みをすべて消し去っていく。塾にとって「多くの(○○校)合格者を出した・都立第1志望は全員合格した」という「事実」は指導の内実を厚いベールで包み込み、また生徒達にとっては手に入れた「合格」の二文字が、それまでの取り組みの甘さやぬるさを消し去っていく。塾にとっても生徒達にとっても、「合格」は輝かしい未来をもたらすだけでなく、あらゆることがらをリセットする強大な力をも併せもつ。

       

       

      先に「道」と書いた。受験に「道」、受験道などないとも言えるが、私は目指すべき道が確かにあると思っている。志望校に対する熱い思いと、それを実現させるための努力と、合格の二文字。これらが揃って初めて「受験道」が達成できるのだと、いまあらためて思う。私は自分の生徒達にこうした受験道を歩むことを求めてきたし、その意味で過程の充実を常に意識してきた。それは合格の二文字ですべてを消し去るようなプロセスではなく、1日1日、いや、この瞬間この瞬間に気持ちを賭ける取り組みを求めることで築いてきたものだ。

       

       

      もちろん合格を得られなければ受験道は完遂したことにならない。不合格は決して取り消せない。やり直せない。道半ばでの受験道の終了だ。生徒も私も心のどこかに大きな穴が開き、その穴が少しずつふさがっても、その穴の痕跡は時に疼き、苦い記憶を呼び起こすこととなる。その責は塾だけが負いたいが、それも叶わない。合格はすべてのマイナスを消し去るが、不合格はすべてにマイナスを刻印する。

       

       

      ただ、道を求めた生徒達には努力してきた軌跡が残る。最後まで受験と真摯に向き合ったという態度は、彼らの中に無形の財産として引き継がれる。私たちは、合格の二文字ですべてを精算するような取り組みは決してしてこなかった。合格は努力の軌跡の先にしかないと、繰り返し確認しながらここまで歩んできた。その思いを胸に、生徒達は不確実な受験に対し気持ちを振り絞ってきた。

       

       

      今年の中3生、それこそ色々な生徒がいた学年だった。率先して努力に自分を没頭させられる生徒もいれば、部活優先で勉強がままならない生徒もいた。取り組みの甘さやいい加減さに対し、これだけ叱ったこと学年もないだろう。それでも、塾を信じてここまでやってきた。私はその1点において、進学塾Uineの受験道の充実をみたいと思う。

       

       

      すべての生徒が万全の体制で受験に臨むわけではない。それぞれがやり残しや未熟に対する後悔を抱え、本番に臨む。しかし繰り返すが、努力の軌跡は、それぞれの形で確かにそこにある。

       

       

       

      | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      塾で「囲い込む」 その2 −本番環境をつくる
      0

         

        (前回の続き)塾で過去問をやらせる際にルール化しているのは「可能な限り本番と同じタイムスケジュールにのっとる」ことだ。開始から昼休憩、終了時間まで同じにすることは無理であっても、最低5教科(3教科)を1日でやらなければならない。それもテストだけを、である。塾でやると言っても1日1教科、2教科しかやらず、しかもマルつけや復習などのインターバルを挟んでやっては「囲い込む」意味がない。塾での過去問演習は、あくまで本番のシミュレートでなければならないと思う。

         

         

        生徒達は業者による会場模擬テストを受けてくる。進学塾Uineでは6月から毎月1回は受験することにしているので、各自6~8回は受験する勘定だ。ここで本番シミュレートをして「テスト勘」を身につけたいところだが、やはりできない者が少なくない。

         

         

        例えば大事な模擬テストなのに、緊張感が高まらない生徒がいる。こういう生徒は1教科目の国語の偏差値が露骨に低かったりする。「朝が弱い」などの言い訳が出ることも多いが、普段から緊張感、集中感を作る習慣がないから模擬テストなのに低いテンションで臨むことになってしまう。偏差値のばらつきが大きい生徒というのも、緊張・集中状況をうまく作り出せていないことが多いと思う。

         

         

        また都立志望者の場合、試験後半の社会、理科の成績、とりわけ最後の理科の成績が息切れしたように下がる者がいる。こういう生徒を塾で囲い込んでみると、集中、緊張がもたないことがはっきり見てとれる。普段の授業では気持ちを適度に「抜く」ことができるし、学校の定期テストのように1日2〜3教科(しかも慣れた環境)しかやらないとこうした弱点をなかなか自覚できないが、模試を受けたり囲い込んで緊張を強いると「発覚」する。こういう生徒は本番でも午後のテストで「大怪我」をしてしまうことがままあるように感じている。近年、都立の社理の難化傾向はよく言われるが、その原因とも言える「長い問題文」を読み切って設問条件や意図を把握するのには、より高い集中と緊張が欠かせないからだろう。

         

         

        集中、緊張とは別に、過去問演習には採点という問題もある。生徒にやらせるのか、こちらがやるべきなのか。本来的には自律的な学習の一環として生徒自身に任せることが理想だろうが、やはりある程度教える側が介入した方がよいと思う。時間管理の適当さと同様、採点も結構ルーズにやる生徒が多いからだ。私の見ている範囲では正解数を盛って点数をつけるような不届き者はほぼいないが、そこまででなくとも記述解答を「似ているからマル」とやったり、得点の合計を雑にやる(たいてい自分に有利なように)などはしょっちゅうある。完全添削まではいかないまでも、採点はある程度教える側がコントロールしてできるだけ適正な得点化を図り、また出来・不出来、分が悪い項目等を把握するのがよいのではないだろうか(教えている人数にもよるが)。

         

         

        先週の土曜日、初の過去問演習を行った。都立受験組はまだ社理で終わっていない単元があるのでとりあえず3教科だけだったが、いやはや、私立受験組も含め「塾で囲い込むことにしてよかった〜」というレベルである(笑)実際は笑ってなどいられないのだが、生徒達の様子から考えると、模擬テストの出来もむべなるかなである。塾でやるわけだから露骨にだらけたりはできない(それでも朝一の国語では舟を漕ぎ出しそうな者がいた!)が、集中、緊張が途切れがちな生徒がそこかしこに見られるし、さまざまな個別の問題がはっきり見えてきている。これから入試まで毎週過去問演習を行うわけだが、そこで集中・緊張感を養いながら、本番に必要な問題マネジメント力を身につけさせなければならない。

         

         

         

        | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        塾で「囲い込む」―過去問演習はどうやる?―
        0

           

          今週より土曜、日曜を使った過去問演習を開始した。今年は(今年から?)過去問は生徒任せにせず、演習も含めてすべて塾で管理していくこととなる。

           

           

          これまで過去問演習は私が演習スケジュールを作って各自に進めさせ、塾では点数の把握・管理と質問対応、そして状況に応じた復習・補強作業の管理をしていた。一般的なやり方だと思うが、このやり方だとどうにも最後のひと伸びが詰め切れないという悩みがあった。そういう問題意識が「問題を解くことも含め、塾ですべて管理」とした理由である。

           

           

          当たり前だが、同じ塾とはいえ生徒達のもつ実力、とりわけ「自習力」はさまざまだ。過去問は自分でしっかり進められ、必要な質問を塾ですることで着実に力をつけていく者もいれば、自分では(自宅では)過去問が進められない者もいる。

           

           

          過去問を進められないとはどういうことなのか。そんなのただやればいいだけじゃん、と思いもするが、まだまだ未熟な中学生にとって、過去問をこちらが想定するような形で進めるのは結構難しい。

           

           

          過去問演習で一番重要なのは「時間管理」だ。厳密な時間管理を行うことで、「できる・できないの峻別」「集中感覚の養成―あと一問の上積み」「試験時間のマネジメント力」などを身につけられる。こうした力を身につけることで、過去問演習で期待される「演習→復習→得点力向上」というサイクルができあがる。しかし、雑な時間管理で過去問をやってしまってはそれがただの作業に陥ってしまい、実力アップ、得点力の向上は覚束ない。

           

           

          「時間管理」くらい時計やアラームで測ればいいだけだ。しかし、中学生にとってそれを厳密に運用するのはなかなか難しい。つまり、生徒達任せにすると平気で時間オーバーを許容してしまうという現実がある。あとちょっとでこの1問が解き終わる。あと1行で作文が書き終わる。そういう「あとちょっと」を大目に見てしまうということが頻繁に起きるのだ。中学生にとって規定時間が少し過ぎるくらいなら中途の問題は解いてしまうという「違反」を自ら戒めることは難しい。

           

           

          また「早く終わった」「時間がなかった」などの理由で規定時間通りにやらないケースもよくある。2回目、3回目の繰り返しの場合、マイナス10分、15分という設定でやらせたりもするが、1回目の演習は見直しまで含めた規定時間内に解くという体感を身につけさせたい。しかし早く終わればそれで終了の生徒、またきちんと時間をとらずにやっつけで終わらせてしまう(過去問が宿題・ノルマになっているのに終わっていない時によく起こるケース)生徒が案外多い。

           

           

          時間を厳密に管理しないと「集中環境」を作るのが難しくなる。時間に対してルーズな管理をする生徒は、場合によってはテレビをつけたまま(!)過去問をやったりもするし、そこまでの「猛者」は稀としても「過去問演習を始めてから計算用紙・コンパスなどを取り出す・探し出す」「音楽をかけながら」などは結構いる。「集中しない・できない」は時間意識の欠如の現れだとも言えるだろう。

           

           

          きちんとした時間管理によって集中環境を作ることには、集中感覚のシミュレートにより試験時間内での突破力を養成したり、50分のマネジメント力を身につけるという意味がある。

           

           

          試験本番であと1問の上積みができるのはどういう時かといえば、火事場の馬鹿力的な集中が実現したときだろう。「マズイ!時間が足りない!」「間に合うのか!?」という焦りと緊張が却って集中を生み出し、思わぬ力を発揮できることがある。こういう感覚を過去問での(もちろん模試も含め)時間管理を通じて身につけさせたいところだ。

           

           

          また入試というのは規定時間内でできるだけ高得点をとらなければならないわけだから、いわゆる「できない問題(『地雷』と言われたりする)」にかかずらうことなく、「できる問題」をこなしていかなければならない。ただ、これは言うは易く行うは難しで、中3生がそうそううまくできることではない。できるようになるには、高い集中力を発揮しながら失敗したり、うまくこなしたりするという本番集中シミュレートが絶対に必要だ。ルーズな時間管理ではこの力は身につかない。

           

           

          考えれば考えるほど、過去問演習は中学生にとってハードルが高い。私の立場としては自分で過去問ができるように育てられなかったわけであり、その点力不足を痛感せざるを得ない。ただ、もう四の五の言ってもも仕方がない。残り3ヶ月でどこまで得点できるようになるのか、できる手だてはすべて講じなければという思いである(この項、あと少し続く)。

           

           

           

          | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          定期テストで伸び悩む その3―「遅い〜言葉の力の弱さ」
          0

             

            定期テストのみならず勉強においてもっとも重い足枷となるのが「スピードの遅さ」だと思う。いくらしっかり計画を立てても、早め早めに準備をしても、「遅い」生徒は成績が伸びない。

             

             

            スピードの遅さというのはいくつかの要素がからみ合って生まれているのだが、あえて大きく分けてみると、2つの要素が指摘できると思う。1つは「作業の遅さ」。書くのが遅い、計算が遅いなど、横で見ていてすぐ分かる遅さだ。生来ののんびりタイプや勉強習慣が身についていない生徒に多い。

             

             

            これは学校や塾での訓練である程度克服できる。時間設定をした小テストを繰り返したり指導者があえて急かせたりすると徐々にスピードは身についていく。小学生のうちに百ます計算をやらせたりすることで、早く作業を行う姿勢が身についたりもする。進学塾Uineでは小学部は毎日宿題で百ます計算をやらせているが、一定期間以上百ますをやって目標到達を果たした生徒(小学校卒業までに百ます割り算2分以内を全体の目標としている。例年全員がクリア)は、中学に入って遅さが目立つことが少ない。単純な作業の遅さなら、訓練でそれなりの成果は上がるというのが実感だ。

             

             

            もう1つ、遅さをつくる深刻な要因が「思考の遅さ」だと思う。教科書を読む、問題を解くといった学習のあらゆる場面に「思考」は伴うが、その「考える」に時間がかかる生徒がいる。これはちょっとやそっとでは改善できない根の深さ、難しさをもつが、その理由は言葉の力と強く結びついているからだと考えている。

             

             

            勉強というのは抽象・一般化という側面を強くもっている。世の中のあらゆる事象を抽象化して体系化したのが学問であり、そこではメインツールとして言葉と数字が用いられる。だから言葉と数字を扱う力が学問の成果、ひいては勉強のできを左右すると言えるだろう。

             

             

            数字に関してはちょっと措くが、言葉に関して言うと、スピードが遅い生徒ひいては成績が伸び悩む生徒というのは、おしなべて言葉の力が弱い。特徴的なのは「言葉を知らない(語彙が少ない)」ということ。言葉を知らないから「言葉によってことがらをイメージするのが不得手」であり、「言葉による説明(解説文を読む場合も口頭で説明を受ける場合も)がなかなか通じない」という困難が生まれてしまう。

             

             

            語彙が少ないことはすなわち把持している世界の狭さにつながる。言葉を手に入れていないということは、その言葉で表される世界が「ない」ということだ。言葉の力が弱いとは認識できる世界の狭さを意味し、それはとりもなおさず未知のもの≒学習事項に対する理解を阻むことになる。

             

             

            教科書を読んでも、言葉の力が弱く書かれている内容がなかなか理解できなければ時間ばかりかかってしまうのは当然だ。例えば、中2理科に「高気圧・低気圧」がある。ここでは「高気圧−下降気流・時計回りに風が吹き出す」「低気圧―上昇気流・反時計回りに風が吹き込む」という基本情報があるが、言葉の力が弱い生徒はこれをなかなか腑に落とせない。もちろん図を見ながら説明文を読んでいるのだが、図に記入してある矢印が「上昇気流・下降気流」を表すことが分からない。「上向き矢印―上昇気流、下向き矢印−下降気流」というリンクが頭の中でなかなかできあがらないのだ。

             

             

            こういう時、言葉をバラして説明する。すると「上昇」はまあ分かる(中にはすぐにわからない者もいる)が、「気流」という言葉を見て「気≒空気、流=流れ」のようなイメージがなかなか湧かない。説明すると言葉自体はようやく理解できた体になるが、それでも「上向きに風が吹いているのを見たことがないからよく分からない」となることもある。「実感」を伴わないことは理解しがたい、という言語世界がそこには「広がって」いる。

             

             

            事程左様に、言葉の力の弱さは勉強の根幹である理解を阻害し、時間ばかりを費やさせる。今回は定期テストに関するエントリーなので、言葉の弱さと学力に関してはまた改めたい(まだまだ勉強不足なのもある)。と、これを書いている最中にこんな記事が流れてきた(「 AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは『読めて』いるのか?」)。この記事の中にある「教科書が理解できない」という危機感を私も共有しているのはここまで書いてきた通りだ。もっと勉強して考えを整理し、また改めて取りあげてみたい。

             

             

             

            | gen | 塾全般 | comments(0) | trackbacks(0) | - |