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直前の変身
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     一昨日から冬期講習が始まった(昨日お休みを挟んだため本格的には今日から)。夏と違い冬期講習は受験学年だけなので準備は少しは楽だが、直前期のプレッシャーはやはりハンパではない。いつまでたっても緊張するし毎日生徒たちの成績のことで頭がいっぱいである。実は結構お腹が弱いタイプで昔からお通じは順調ではないが、独立してからはそれがますますひどくなった。直前の今などは言うまでもない惨状である(苦笑)




     どの先生もおっしゃっていることだがこの時期は最も成績が伸びる時期だ。もちろんやり方一つで伸びも停滞もするが、生徒たちの危機感や緊張感とこれまでの積み重ねとが相待って一気に向上を見せる時でもある。頑張って辛抱してきた生徒たちに受験の神様がほんの少しだけ微笑んでくれる(完全に微笑んでくれるのは合格したとき)。




     「頑張って辛抱してきた」と書いたが、正しいやり方で努力してきた生徒は必ずと言っていいほど大きく成績を伸ばす局面がやってくる。一朝一夕には伸びない成績に腐ることなく努力を続けること。あたりまえのようでなかなか難しいことがらだ。




     「正しい」とは、自分の師事する教師が要求するやり方である。学習指導はある程度継続指導をしているものによるのが一番いい。ちょっとくらい教科指導力が劣っても、年単位で指導してきた教師は生徒の特徴を多方面から把握しているものだ(もちろん何年も教えてるのに当該生徒のことが見えていない者もいるが)。生徒によって指示にチューニングを加えたり強弱を設けたりできるのも特徴・特長をつかんでいればこそだ。また直前期ほど生徒の微妙な変化も敏感に察知しなければならない局面が多くなるので、「分かっている」教師が教えることは生徒自身の安心感という意味でもプラスになる。時々冬期講習前に「今の塾がイマイチ」と塾がえをする生徒保護者がいるが、よっぽどの事情がない限りしないほうが無難だ。




     塾の仕事で恐いのは知らぬ間に変化を拒絶した態度をまとってしまうことだ。受験生を預かる塾講師は、モアベターを求めて日々努力しなければならない。昨年より今年、今年より来年と自身が向上していく姿勢がなければ毎年異なる生徒たちに対峙することはできないと思う。我々の仕事の落とし穴は年単位で動くそのタイムテーブルにあり、慣れと勘違いの達観をいつのまにか作り出す。




     今年度の私自身の塾運営について。今年は勤務時代に比べて極端に進度が遅い。数学と理科は11月中に終わらせたが、関係代名詞をやったのはついこの間だし、社会の公民分野は定期テスト以外では扱っていない。メイン担当教科とも言える国語も後手に回っている。




     今年度の中3生の多くは中3になってからの付き合い。勉強の得手不得手を把握したり性格的なものをつかむのにもそれなりに時間がかかった。また、塾に通っていなかった生徒が多かったので進度を保つより必要なら大きく遡って復習に時間もかけた。生徒たちに復習を多く課すことで進度が遅れても、確実に理解を深めることに焦点化した。




     模試の成績がなかなか上がらず生徒も私も胃がキリキリする思いだったが、ここにきてブレイクの予兆が幾つも見えている。言われたことを言われたようにやってくれた生徒たちに、受験の神様が微笑みかけている。あと少し、こっちにたぐり寄せるのには私の責任も大きい。





    | gen | 塾全般 | - | - | - |
    曜日選択制
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       子どもが大きくなるに従って増えているのが塾通いについての相談だ。上の子も5年生なので、パパ友やカミさんのママ友、近しい友人から通塾に関するアドバイスを求められることが結構増えてきた。私の立場を説明して(私がやっているのは集団指導塾なのでそっちに贔屓目とか)できる範囲でアドバイスさせてもらっているが、入塾希望の方との保護者面談とは違った本音を聞くことができたりしてこちらも勉強になる。


       先日もちょっとした相談を受けていたのだが、その話の中でやはりそうかと思わずにはいられないものがあった。それは「塾は曜日が選べるほうが通いやすい」というもの。小学生に関する話だが、塾の授業は曜日選択制になっているほうがいいという意見だ。これは少なからぬ小学生保護者に共通する考え方だろう。


       今の小学生はスポーツや芸術系の習い事を多く抱えている。何も習っていないという子はいないのではないか?と思うくらい習い事は隆盛だ。そして、当然のごとく塾に通うということと習い事とはバッティングする。私立中学受験をする場合は他の習い事をやっている場合ではないことがほとんどなので、多くの中受生はある段階で習い事を一時ストップするが、公立中学に進学予定の場合は通塾日数もそれほど多くないし勉強の負担も中受に比べれば少ないので習い事は当然継続する。


       いや、習い事を継続するというより、習い事がまずあり、その後通塾を検討するという流れが多い。サッカーでもピアノでもバレエでもスイミングでも小学校の早い段階もしくはそれ以前からはじめていることが多いからだ。そうした中に「これまでピアノをやってきたけれど5年生になって算数が難しくなってきたから塾へ」とか「サッカーとスイミングでフル回転だが勉強がまずいことになってきた」とか「中学進学まであと半年を切り、小学校の復習と塾に早く慣れるため」などの理由で通塾が「割り込んでくる」というほうが実態に近い。


       こうした形で通塾を始める子ども達の勉強の地位は相対的には決して高くない。私立中学受験組を除いた小学生の通塾は、大抵ワン・オブ・ゼムなのだ。近年はここに都立一貫校受験という分野も生まれたが、ここの真剣味にはかなりのグラデーションがある。区立中学進学前提の塾通いで、「あわよくば」という考えの家庭も実際多い。


       だから塾は他の習い事と折り合いが付く範囲で通うものになっている。塾の曜日と習い事のスケジュールがバッティングしていれば塾へは通えない。だから塾側もその点を考慮して曜日選択ができる形をとっているところが多い。そもそも個別指導は「あなたの都合がつく時間に授業が受けられます」がセールスポイントだ。


       かつて勤務塾で、中受をしない小学部普通クラスを充実するための手だてとして曜日選択制を導入した。週に2回の授業を4日間の中から選んで通えるという形にしたのだ。指導形態もそれに合わせて集団個別式に変更した。


       利便性が高くなったからだろう、確かに小学部は充実してきた。しかし同時にこれまで聞いたこともなかった言葉がお母さん方から出るようになった。それは欠席連絡があった際の一言、「それで、振り替え授業はいつ行かせたらよろしいでしょうか」。


       「振り替え授業」という言葉は各種案内やお知らせのどこにも入れていなかった。しかし選択制になったということで、休んだ分は当然どこかで振り替えてもらうという発想が生まれる。他の習い事がそうなっているのだ。休んだ分は振り替え。代わりの日に行けばいい。しかし勉強がそれでいいのだろうか?私は違うと思う(もちろん他の習い事でも同様だと思っている)。


       勉強というのは優先順位第一位にしないと中々伸びてこないのはこれまで繰り返し述べてきたとおりだ。勉強より優先するものをもっていたり、他のものの中に勉強が埋没するような状況で成績がグングン伸びていくなどありえない。もしそれが実現するとすれば、それはその生徒のもっている力がそもそも必要十分である時だけだ。多くの標準的な生徒達は、勉強を第一優先にして初めて成績向上の端緒につく(こういう話をすると「え〜俺は(私は)部活に熱中していたけれど勉強もちゃんとやったよ」とか「ピアノは中学卒業まで週3回続けたけど、地区で一番の高校に入った」とかの反論が必ず出てくるのだが、そうした方は自身の中学時代の成績を思い起こしてほしい。おそらく初めから高値安定のはずだ。そうした「どんな勉強をしても、どんな塾に行ってもできる生徒」はここでは想定しておりません)。


       小学校時代に勉強より優先するもの(習い事)を常態的に設定していた生徒は、中学でも当たり前のように部活(もしくは継続している習い事)を勉強の上に置く。成績を向上させるには、部活を勉強の上に置いてはならずせめて勉強と同列の第一位でなければいけない。部活が突出した位置にいある生徒の多くは勉強に何らかの難しさを抱えることとなる。


       こうした考えから、私は塾を開く時「小学生の授業日は固定」を絶対守ろうと思った。他の習い事との兼ね合いで曜日を変更して授業を受けることを基本的に認めない(当然単発的なイレギュラーはあり)。これは当然、小学生のうちから勉強を優先する意識をもたせることが目標である(生徒本人にも、またご家庭向けのメッセージとしても)。中学からの勉強の土台作りという意味でも、これは譲らない方針としようと思った。


       小学生のお問い合わせをいただくと、保護者の方はやはり曜日のことをまず聞かれる。そして「ああ、無理だ」となることが多い。もし曜日選択制にしていれば今の倍以上の小学生が通っていてくれたかもしれないと思うほど、曜日の都合がつかなかったケースが多くある(悔しいしつらい。生活が・笑)。


       私は勉強が初めから楽しかったりおもしろかったりしてはダメだと思っている。勉強とは真剣に取り組むべき対象、高くそびえ立つ峰、超えていくべき深き谷のようなものだ。習い事でも同じではないか?ある曲に習熟しようとピアノを練習するとき、コンマ1秒でもタイムを縮めようとひたすら泳ぎ込むとき、子どもたちは楽しいだろうか。つらいはずである。つらいけれど、その先の喜びを目指して努力している。勉強も同じだ。楽しさや面白さが先立つ勉強は偽物である。つらく厳しい努力を乗り越えてこそ学問のもつ深淵を覗き見ることが可能になる。


       そうした勉強を求めて生徒に対し強く真剣に迫るためには「勉強第1優先」の意識が共有できていなければならない。想像してみれば容易に分かる。勉強以外のものを優先にしている生徒を相手に、教師が真剣になれるか、なにより生徒が本気で努力できるかどうか。






        
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      英語がヤバイ
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         いくつかの地元中の定期テストの成績がかなりマズイことになっている。




         定期テストの成績表に付せられている得点分布グラフを見ると、「右肩下がり」の教科が多い。教科によっては最も人数の多いボリュームゾーンが0点〜20点という驚くべき結果すら出ている。特定の学校、特定の教科に見られる傾向ではなく、複数の学校、複数の教科で確認できる結果だ。特に英語にこの傾向が見て取れる。



         他の地域はどうなのかよく知らないが、地元中の英語の定期テスト問題は今年から明らかに難しくなっている。整序や内容一致、完全英作文などの文法問題が増えるとともに、2〜3割は復習問題が含まれるようになって「今回からの頑張り」は点数になりづらくなってきた(これは教える側としてもかなりきつい。生徒の努力が点数に現れづらく、やる気がしぼんでしまうこともあるからだ)。当然、「前回と同じ頑張り」程度では点数は下降する。また、中1夏までのノリで英語に臨んでいる中2中3生の下降度合いは相当なものだ。



         多くの塾の先生方も指摘されてきた通り、今年からの英語教科書は優れた仕上がりになっていると思う。しかし、この教科書をマスターすることと、指導要領内で目指される英語学習の目標とはちょっと(いやかなり)ずれてはいないだろうか。指導要領では「読み書き」よりもコミュニケーションに関する事項が目標の上位に置かれており、「グローバル化への対応」や「英語でコミュニケーションが取れない日本人の脱却」が強く意識されていることがうかがえる。これに関しては別の機会に触れてみたいが、そうした力を養うのにこの教科書で?(ポカーン)というのが率直な印象だ。



         墨田区の採択教科書はホライズンだが、この教科書を(深いところまで)マスターするには文法を徹底した上でないと難しいと思う。とりあえず表面的に理解し「なんとなく訳せる」程度で勉強を進めてしまっては、教科書のもつ深さや奥行きに触れられないばかりか、先に行って英語が苦手になるのは目に見えている(これは今までと変わらない)。



         以前から学校の授業では、リスニングや音読、単語練習(これは結構詳しくやっている)など、文法学習や教科書読解以外にも時間が割かれている。それが今年からさらに多くなっている印象だ。まあこれは上記の指導要領の目標に照らし合わせれば当然のことだと言える。しかし、週に4回の授業でそこまでやる余裕があるのだろうか。もちろんリスニングや音読は教科書読解においても不可欠だが、文法を中途半端にしてそちらに力を傾けては(実際そういう授業が行われているやに聞く)、全部が中途半端になってしまう。定期テストの結果は、そうしたミスマッチの端的な現れだと言ったら言いすぎだろうか。



         反対に学校では文法のパターン練習・演習などがほとんど行われない。文法学習用には一応ワーク的なものが与えられているが、これが結構難しい上に、授業内での解説はなく、宿題(自習用教材)扱いだったりする。これでは成績中位〜下位の生徒達の成績向上は困難だ。オリテキでも使ってガンガン反復練習でもやればそうした層の生徒にとっては資する部分もあると思うのだが。



         学校の授業は案外一方通行なことが多い(私の見た範囲)が、成績中位〜下位層ほど、インタラクティブな授業展開が有効である。ましてや英語は言語教育だ。対話によって啓発的な授業を行うことの効果は当然大きい。文法学習をインタラクティブに行うというのは塾では常識的なことだと思うが、学校でもこれをやればいいのに、なんてよく思う。塾と学校の40名は単純に比較できないが、学校でもそうした授業をされて大きな効果を上げられている先生を存じ上げている。やればできると思うのだが。


         もちろん、定期テストの成績不振は学校の授業によるものだけが原因ではない。いわゆる勉強から降りてしまった生徒も一定割合存在し、その数がジワジワと増えているというのも地元の共通した見方である。これについては改めて書いてみたい。 




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        恥ずかしい話 その2
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          ※学生生徒時代の勉強に関する恥ずかしい話はごまんとあってそれこそブログがいくつも書けそうですが、さすがに恥ずかしくもあるのでシリーズにはしません(笑)今日で大学入試編はひとまず終了します。そのうち「恥ずかしい話 外伝」とか「羞恥話 Annex」とかやろうかな(笑)


           浪人の2月を迎えた。私大一般入試本番である。受験大学は早稲田一文二文、それと教育。ここらが本命。そして「押さえ」で日大文理と國學院の文。模試の合格可能性としては全然押さえではない(何しろ日本史ができなかったので下手したら早稲田より判定が低い時もあった)のだが、ここでもクソつまらないプライドが顔をもたげ、「これより下は受けない。受からなければ働いてやる」なんて言って押し通した。



           確か2月14日が國學院。試験本番。できる気がしない。果たして英語。和訳が分からない。空欄だった記憶がある。そして日本史。まだ鮮明に覚えているのだが、「こういう構成の一家に、何段何分の口分田が与えられるか」と言う問題が出た。もうビックリ!である。私にとって見たことも聞いたこともない難問(笑)当然できない。日本史は玉砕した感があった。当然試験終了後の感覚は「不合格」である。



           翌日が日大文理。受験生がやたら多かった当時、日大は応募倍率で20倍くらいの学部学科がいくつもあった記憶がある。文理の国文も当然高倍率。受験する前から「ムリめ」だった。



           英語は國學院よりできた気がした。問題はやはり日本史である。國學院に輪をかけてサッパリ分からない。開始15分くらいで全部マークを終えてしまった。おまけに連日の睡眠不足がたたってか激しい睡魔が襲い、その後グーグー寝てしまったのだ。背中にドンッという鈍い痛みを感じて眼を覚ますと女性の試験官(おそらくバイトの学部生)が私をきつく睨み、「終わったわよッ」。ひったくるように解答用紙を取っていった。周りに注目された私は恥ずかしいやらなんやらで、「クソッ。このブ〇(おねえさんごめんなさい)。こんな大学、ぜってー受かっても来ねぇ」と心内文で悪態をついた。受かるはずがないのに。



           数日後。なぜか両校とも合格していた。いまでも不思議でならない。あんなに日本史(國學院は英語も)ができなかったのになぜ合格したのだろう。確かに国語はあのレベルなら満点の自信はあったが、あんなにできなかったのに最低点に届いたのだろうか。今でも思うのは、受験生がバカ多かった当時のこと、何かの集計ミスで私の受験番号の前後の人が手違いで私の代わりに不合格になってやしないかということだ。



           早稲田の入試は今も昔も私大の最後なので、押さえで合格している大学の手続き締切日が早稲田の発表前にやってくる。日大と國學院、どちらかに入学金を入れるという段になってふと困った。「どっちでもいい」。早稲田に行くことしか考えていなかったので、國學院も日大も入試当日に行っただけで何の下調べもしていない。あわてて入試要綱を見ても、なにがなんだかよく分からない。かろうじて「近代文学なら日大」、「上代〜中世文学なら國學院」ということだけ分かった。それでもどっちでもよかった。漱石鷗外が大好きだったから近代文学にも興味はあったし、そもそも古文が好きで文学部を志望したので國學院はドストライクだ。



           父親と話し合った結果、「くじで決めよう」(マジで)。達筆の父親が硯で丁寧に墨をすり、半紙に「日本大学」「國學院大学」と墨書。それぞれを封筒に入れて封をし、神棚に上げて拍手。おろして「せ〜の」で同時に引いた。それで出たのが「國學院大学」。というわけで國學院に入学手続きをした(嘘みたいですがまったく作りはありません)。



           合格がでたことで気持ちも切れてしまい、早稲田は当然のように不合格。自信を持っていた小論文がまったくうまく書けなかったことをよく覚えている。いや、英語ができなくて小論文まで見てもらえなかったろうな。教育学部の日本史なんて、確信を持って書けたのが「警察予備隊」だけだった(爆)現役時代から早稲田早稲田言っていたが、とうてい合格に手が届く実力は備わっていなかった。



           かくして私は國學院に進学した。大学時代のことはまた改めて書いてみたい。今でも交流のある友人が幾人もおり、幸せな大学生活だった。


           こんな話を毎年この時期になると大学受験生にする。これは講師生活18年でずーっと私の鉄板ネタである(笑)私のことは反面教師にしてもらいたいのだが、この話をどのように受け取るかはまあ生徒たちに任せたい。




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          恥ずかしい話 その1
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             センター試験まで約1ヵ月半、私大一般入試が始まるまで約2ヶ月。大学受験生にとっては文字通り一分一秒も無駄にできない最終局面を迎えた。月並みだがここからの過ごし方次第で結果が左右される。慢心して入試を棒に振るキリギリスになるのか、ターボチャージャーを積んだアリに脱皮を遂げるのか、これはまさしく追い込み方次第である。奇跡とかミラクルには必ず理由がある。結果にこだわり、泥臭いまでしがみついて努力した者だけに入試の神様は微笑むのだ。一方で悲しいかな、怠惰で自尊心だけは大きいアリで終わるものもいる。これからの時期、そうした大学受験生に働きかけるすべは残念ながらない。大学受験ともなればこれまでの生き方がトータルで試される。モードチェンジやスペックの更新・交換は終えていないと追い込みは難しい。


             思い出すも恥ずかしい私自身の大学受験の話をしよう。生徒達には「徹底的に追い込め、努力せよ」とか「風呂もトイレもメシもすべて勉強しながら済ますくらいの気概をもて」とかえっらそうなことばかり言っているが、自身の大学受験時代はとてもとてもそんな努力はできなかった。今、昔の自分が私の生徒だったとしたら、全力でつぶす(笑)何時間もかけてその怠惰を糾弾し、悔い改めるまで説教し続ける。そんなダメな大学受験生だった。


             12月というと思い出す。最後の模試で出た日本史の偏差値が43しかなかった。当然だ。浪人の12月ともいうのに、日本史の教科書は通読すらしていなかったのだ。江戸時代まで1度だけマーカーを引きながら読んだだけ。じゃあ、何で勉強していたかというと「一問一答問題集」。これだけ。もうとんでもない学習法である。いや、やり方のせいではなくて私自身が安きに流れる怠け者だったのだ。確かに日本史の勉強法なんてほぼ宅浪(ちょっとだけ代ゼミの単科講座には行った)の自分には知る術もなかったのだが、難しい教科書を忌避して安直な一問一答に逃げていた。



             私のような怠け者が日本史から逃げる格好の理由が当時の大学受験には存在した。早稲田大学文学部(第一・第二)の存在である。当時の早稲田文学部の入試科目は「英語・国語・小論文」だった。なんと大学入試における苦行的存在、歴史がないのだ。そもそも文学部志望だった私にとっては渡りに舟もいいところで、「第一志望は早稲田一文だから社会要らないんだよね〜」みたいな甘っちょろいエクスキューズを吐くことが、まあ可能だった。事実、そうしていた。



             日本史偏差値43で早稲田以外の押さえすら合格可能性が低いと分かった時、私の頭によぎったのは「2浪」の二文字。しかしながら親(父親)に釘を刺された。「2浪はない。そうなったら働け」。



             国語だけはできたので早稲田が箸にも棒にもかからないというわけではなかった(でもそんなに可能性は高くない)が、このままでは押さえの学校のほうが危うい。日本史をやらなければということで、今でも覚えている12月25日のクリスマスから近現代に絞って勉強し始めた。もう全体を網羅する勉強はできない。せめて頻出(と言われる)近現代だけでもしっかりやろうという素人考えだ。



             暗記カードの表に総理大臣名を書き、裏にその在任期間中の出来事を書いて暗記するというオーソドックスな(ひねりも工夫もない)やり方。当時代ゼミに白井先生という日本史の先生がいらっしゃって、授業でおっしゃっていたことを実行したような記憶がある。もうひたすら「いくやまいまいおやいかさかさ」を繰り返し、出来事を暗記した。



             カードは現代まで作ったが、暗記は途中で時間切れとなった。なんだか、若槻礼次郎くらいまでしかやった記憶がない。私の暗記体力は明治の初めから大正デモクラシーまでの約60年弱しか続かなかった。



             英語もひどかった。以前も書いたことがあるが、私は中学の英文法も怪しかったので高校の英文法の知識はほぼゼロ。文型判断も、分詞構文も、仮定法もできなかった。中学内容の不定詞3用法すら怪しかったのだから当然である。だから大学入試英語はド暗記。文法語法は当時駿台文庫の『英文法頻出問題演習』をみんな使っていて、私もそれをやっていた。現役時代から浪人時代まで、ほぼそれオンリー。10回転近くやった。だからほとんど覚えていたが、なにしろ丸暗記でしかないので長文が読めない。長文の問題集をやってもまったく解説が分からないのでやり遂げたものは1冊もなかった。もちろん、予備校の夏期講習などで英語の講座をとってもチンプンカンプンである。



             主語を修飾する関係代名詞節を「じゃあ、〇〇の△△まで括弧でくくって」なんて言ったりすることがある。予備校でも先生がそんな言い方をされていたが、そもそもなぜその部分を括弧でくくるのかが分からなかった。関係代名詞もよく分からなかったのだから当然である。長文読解の授業は高校時代から苦痛だったが、浪人をしてもまったくやり方がわからなかった。



             代ゼミで単科講座を受けていたあるとき、意を決して講師室にそのことを質問しに行った。ところが先生の前できている行列の前から漏れ聞こえてくる質問は、具体的な英文解釈の内容ばかり。私のように「なぜ括弧にくくるのか」なんて基本的なことを質問している受験生はいない。あせった。どうしよう。羞恥心で顔から火が出そうだ。



             私の番になった時、私はどうしてもそのことが聞けず、関係ない部分(もちろんその箇所も分からないのだが)の和訳を質問していた。つまらないプライドだけは一人前だった。(続く)





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