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部分と全体への視点
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2011.12.29 Thursday
09:29
週に1回だけ予備校で現代文・小論文を教えているが、難しいのが質問の扱いである。
現代文は尋ねられて即答できる質問はほとんどない。講義で扱った教材ならその場で答えられるが、模試や過去問演習の質問だと文章を読むところから始めなければならない。また出講日は空き時間なく講義が詰まっているので、中々満足に時間を取ることができない。
そんなわけで秋からは、「講義内容以外の質問は、 質問メモに教材コピーを添え、事務に頼んで私にメールしてもらう。それに対して私が回答を作成して返信する」という形にした。「『大問○、問△の答えがイになっているが、解説を読んでも納得できません。私はエだと思います』みたいな質問でOK。気軽にどんどん送ってこい!」と呼びかけた。
この類の質問は来るときは集中して届く。昨日は一気に3人・4題分メールが来てちょっと泣きが入った。私は1人の質問につき最低でもA4版1枚分は解説を作るので中々しんどい(涙目)意地と根性で昨日のうちに返信したが(汗)
こうした質問で案外多いのが「部分ばかり見ていて文脈や要旨が意識できていない」というもの。「直後に〜と書いてあったのでイにしたのですが、正解にはウとなっていて…どうしてでしょう」とか。
こういう質問の多くは大抵的外れで、「ヲイヲイ、前後2段落の文脈取れば一発じゃねえか…」的な思いを抱くこともしばしば。「授業でず〜っと強調してきたろっ!『○行目に書いてあるから、エ』みたいなどっかの問題集みたいなやり方すんなって!」とも言いたくなるが、それは言わない(質問は大抵女子からだから。女の子に優しいのは当然である)。
現代文で必要な読み方は「部分と全体への視点をともにもつこと」である。そんなのあたりまえじゃん、と思われるかもしれないが案外現場では「わかりやすさ・明快さ」のためにそうした正論・王道が脇に置かれていると感じる。
特に市販の問題集(と赤本解説)の一部には現代文という科目のハードルを低く見せたいのか「極端に単純化した根拠」をもとに正解を導くものがあるが、これは害が大きい。苦手な生徒、できない生徒ほど、王道のやり方を地道に重ねる必要がある。
単語一語、助詞一文字の意味にもこだわる。意味段落を形成する文脈と全体要旨を意識する。「現代文ができる」とはこの両立を図れることである。両者を往還する思考作業が、意識せずともできることである。
質問回答を作っていいて思ったのが「部分と全体への視点をともにもつ」っていうのは何も現代文だけじゃなくて、実生活でも必要な態度だよなあということ。人間案外目先のことにこだわって、ものごとを大きく見れないことってよくありますよね。これも言うは易く行うは難しの典型。いろんな局面で来年はしっかり気をつけていきたい(年末のエントリとしてうまくまとまったかな)。
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勉強の「意識」
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進学塾Uine も現在冬期講習の真っ只中。中3生が朝から夕方まで毎日真剣に机に向かっている。
いきなり話はそれるが、ウチは中1中2の冬期講習はやらない。お正月休み以外は通常授業を継続している。
そもそも、中1中2の冬期講習をやる必然性が昔から感じられなかった。「中1中2は冬休み勉強する必要がない」というのではなく、通常授業をやれば十分だと思っている。冬休みならではのプラスアルファをやるならば、普段と違ったまとめテストとか呼び出しとかをやればいい。実際中2生はほぼ毎日呼び出してテストをやったりしている。
正直に言えば、中1中2の講習には、生徒達の学力向上よりも塾の売り上げ増という視点が優先している気がして嫌なのだ。もちろん志ある塾はそんなことより生徒達の学力を真剣に考えての冬期講習だと思うが、塾業界全体で見ればそうではないと思う。そんな流れに抗する意味からも、私は中1中2の冬期講習は(春期も)やらないことにしている。
話を戻そう。冒頭で「中3生が真剣に机に〜」と書いたが、今日は軽い説教から授業に入った。確かに真剣に机に向かってはいる。でも、「仏作って魂入れず」といったら大げさだが、心から「成績を上げたい、実力をつけたい」という思いの現れが弱い。
発端は昨日の復習漢字テスト。ページタイトルに「似た書き方で間違えやすいもの」とあるにもかかわらず、「宮延」「順延」や「派遺」「遺志」など、平気で同じ漢字を書いて間違える。これにガックリきた。
間違えは「やってしまっても仕方ないもの」と「絶対やってはいけないもの」とがあると思う。こうした間違えは当然後者。何を考えて、どんな気持ちで勉強に臨んだのか。勉強が「やらされているもの」「決められたもの」に堕している。たかが漢字かもしれないが、勉強の姿勢というのはこうした細部に宿る。絶対見過ごしてはならない。
朝一からかなり強い口調でたしなめた。私は生徒なりの指導をしない。全員の成績をおもいっきり上げたいし、そういう指導をしているつもり。だから生徒達も「現状維持でOK」とか「これくらいやればいいや」とかの思いで勉強に臨むなら別の塾に行ってもらいたい。高校受験でも勉強は全生活、全精力を傾けた真剣勝負でなければならない。残り2ヶ月、私も含めしっかり褌を締め直して入試に向かおう。
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長期課題
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2011.12.22 Thursday
23:39
今日、中3生にカミナリを落とした。
私は結構「長期課題」を出す。例えば「三週間後までにテキスト○○から△△まで全部解き直す」とか「4週連続で毎週水曜日は年表テスト」とか。 目的の第1はもちろん知識等の定着だが、上手に自己管理をして欲しいという思いもある。
長期課題があっても通常の宿題も出るわけだから、悠長に構えていたら終わらない。「できるだけ余裕をもった計画を立てる」とか「後回しにしないで、早め早めの作業を心がける」とか、勉強に必要な基本姿勢を身につけてもらいたいと思っている。
今日はその長期宿題の締め切り日だった。
ところが数日前からコチョコチョ泣きが入る。それだけでなく決められたテストの取り組みも甘くなっていた。今週に入って「絶っっっ対に終わらせろ!」と気合いを入れたが、結局出せない生徒続出。そこで全体に説教を入れたという次第。
「あのね、入試っていうのは日にちが決まってるのよ。君たちはそれに向けて勉強しているわけでしょ?宿題の期日が守れない奴が、どうやれば入試日までに合格するだけの実力に到達するわけ?間に合わないに決まってる。」
「『こんなたくさんの宿題、終わるわけないじゃん』と思うかもしれない。でも、自分にできることだけやってたら力はつかない。無理めの宿題課題を歯を食いしばって乗り越えるからこそ、グンと実力が伸びる。」
「俺が自分の塾を作ったのは『生徒なり』の指導をするのがイヤだったからだよ。「こいつはこれだけできれば十分」なんて絶対思いたくない。全員の成績を『うそっ』ってくらい伸ばしたいから塾を開いた。それには俺だけ意気込んでもダメに決まってるだろ。みんなの意識の持ちようなのよ。どんな気持ちで勉強に向かうか、どれだけ強く『できるようになりたい!』って思えるかが勝負。そう思って宿題やったのか(ゴルァァ)!」
説教しながら「俺の働きかけが不十分だったか、もしくはうまくいっていないのか」などもあれこれ考えた。生徒達がやらない・できない大きな理由は当然私にもあるからだ。でも、強い気持ちで接するのが私の指導スタイル。勉強することは自分を変えることでもあるという信念をもって、残りの日々も中3生を叱咤激励したい。
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大学入試現代文のこれから その3
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「その2」まで書いていて最終回を書くのをてっきり忘れていた(汗)
これまで大学入試現代文の現状について書いてみたが、最後に私大入試における「文章の質」について触れてみたい。
入試問題は大学側が「値踏み」される格好の材料だ。受験生が年単位で積み重ねてきた努力を数十分で測るのが入試問題。受験生の凝縮された努力がそこに注入されるわけだから、入試問題もそれをがっしり受けとめるだけの骨と奥行きが欲しい。
現代文は日本語で書かれているのでそうした「質」が我々にも受験生にも分かりやすい。「この問題すげえなぁ」も「なんだこのヘボ問題」も一目瞭然である。
私は「その2」で上智大の問題を批判したが、難易度を出す「ためにする」問題は程度が低いと思っている。これは問題文と設問の両方に言えることだが、上智はともに難度(レベル)を意識した作りだと感じている。
私大ではないが、センター入試現代文の難化は著しい。私がペーペーの頃は、カリキュラムの違いもあったがセンター国語はたいした対策をやらない受験生も多かった。理系は古文漢文をやるくらい。90年代初頭のセンターはそれでも7〜8割は得点できた(もちろん私の指導範囲に限った話)。
21世紀を迎えた頃から問題文の長文化傾向と扱われるテーマのニッチ化が進んだ印象。センター特有の長ったらしい選択式問題と相まって、現代文(第一問の評論)を時間内(漢文までやる場合は25分弱で解く必要がある)に8割得点するのは簡単ではなくなった。
センターは過去に出した問題との重複を避けるという足かせがあるのでテーマのニッチ化は避けられないのかもしれない。それにしても難しくなりすぎているという印象(難化志向)がある。
一方私大では難化と易化の二極化が著しい。
大学受験率の上昇に伴って大学の大衆が叫ばれて久しいが、これまで大学を目指さなかった層が大学進学を選択し、大学受験生の学力も以前と比べ下がっていると言われる。それに対し大学側(上位大)は受験生の確保と入試レベルの維持という背反する課題をともにこなしていかなければならない。
例えばそれは入試制度の上では、一般入試とセンター利用入試をうまく組み合わせることで解決の糸口を探る動きとなる。最上位大は一般入試3科目に対しセンター利用では4科目以上を課して、受験生の多様化とレベルの維持を模索している。もちろんその逆もあって、積極的にセンター参入する私大の多くは単純に受験機会を多くして受験生を確保しようとしている。
現代文を見ても、「学力の下がった」受験生に合わせる大学と、大学としての矜恃を示そうという大学との線引きがくっきりしてきたという印象を持っている。例えば、「こりゃレベルが落ちてきてるだろ」と思われる大学がいわゆるGMARCHの中にもある(三番目)。端的に言って問題文のレベルが低い。受験生の知性に働きかけるわけでも、培ってきた努力をがっちり受けとめるものでもない。
一方で早稲田の法学部。ここは私大現代文のフラッグシップだけにいつも注目しているが、2009年の大問2、3には思わずのけぞった。
大問2はソシュール言語学、大問3はウィトゲンシュタインの哲学を下敷きにした評論。ともに分かりやすい言葉遣いで書かれてはいるが、難解なテーマを扱ったものである。
文章自体は決して難しい書き方をしているわけではなく、一流の書き手によるものだということがすぐ分かる(どの大学も文章自体の難度に頼るのではなくこうした出典から出題するべき)。しかしテーマが難しい。受験生は現代文の学習で、ソシュールやウィトゲンシュタインの「さわり」くらいは学んでおかなければならないということか。
この問題のミソは、テーマがニッチな芸術論などではなく、大学で学ぶ現代思想の王道(研究が積み重ねられた定番的なもの)的ことがらだということだ。私はこれを、早稲田の「受験生は小手先の受験技術ではなく、ここまで勉強してこい」というメッセージだと受けとった。
さすがに難しすぎて受験生の出来が悪かったのか次年はトーンダウンした感じもしたが、大学の大衆化とは裏腹に、大学入試現代文は、かつては大学で学んでいた専門性の高い内容が入試現場に降りてくるところまで行ってしまうのかもしれない。
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塾の価値
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端的に言って塾の価値はどこで決まるのか。それは「雰囲気」にあると思う。以前のエントリでも書いたが、どんな「塾風」があるのかが塾の存在意義ではないだろうか。
開塾1年目の今年、ことさらこの「塾風」づくりに気を遣ってきた。まだまだ生徒は少ないが、たとえ1対1の授業でも、絶対守るべき柱は譲らない姿勢で授業に臨んでいる。
私が作りたい塾風は、「当たり前のように勉強する雰囲気」。んなの当たり前だろと思われるかもしれないが、これが中々難しい。
例えば授業終了時間が来たとする。ウチはチャイムはないので私が合図しなければ授業は終わらないが、時間が過ぎて生徒達がソワソワしたり筆記用具を片付けだしたりしたらもうダメである。その時点で「勉強は仕方なくやるもの」に堕していることになる。残念だが「勉強が当たり前」の雰囲気は遙か遠く彼方。
ただ、こうした雰囲気は強い言葉がけや働きかけで作るものではない。それとない「仕向け」で徐々に醸成されていくのが理想的だと思う。私は声も態度もでかく、おまけに一言多いタイプなのでこれには相当の困難がともなう(笑)
私が開塾前からネット上(ブログ、ツイッター)で影響を受けてきた先輩塾長達は、みなこうした塾風を大事にされている。先日もツイッター上で、先輩塾長である中村先生と猫ギター先生が「塾の空気」についてやりとりされていて、思わず膝を打った。
私は自分の授業には自信がある。でも、そんなの塾講師なんだから当たり前である。個人塾を張っている以上、授業だけを売りにしていたらダメで、トータルとしての塾風が他と隔絶していなければならない。私はそれを「勉強が当たり前の雰囲気」という「当たり前のもの」におきたいと思っている。
開塾初年度、まだまだ少ない生徒数だが、皆私の思いを汲んでくれているのか理想の塾風ができつつある。
分からない問題があっても、友だちに「これできた?」とか「どうやるの?」とかコチョコチョやる生徒はいない。
私が授業終了時間を10分以上オーバーしても、時計を見たり筆記用具をしまって「早く終わらせて光線」を出したりしない。
テスト勉強期間の土日は10時〜22時という長時間学習だが、休み時間と質問以外に私語はない。皆黙々と自分の勉強に取り組んでいる(その代わりと言うか、休み時間の話題はまるで勉強とはかけ離れているが・苦笑)。
多教室展開の塾だと、上のクラスは生徒のやる気もあるし指導力のある教師が担当するので勉強する雰囲気を保てるが、下のクラスはモチベーションが高くない上に講師も新卒+αが担当なので「なあなあ・ガチャガチャ」ということがよくあるらしい。こういう塾は塾風ではなくて合格実績を売りにする。
これから生徒が増えてくれることを願う(切実)が、その時に今の雰囲気を保っていけるかが塾(と塾長である私)の真価が問われる。想像するだけで緊張するが、しっかりやり遂げたい。
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