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定期テスト勉強の「禁じ手」 その2
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    (続き)定期テストにおけるもう2つの禁じ手、「2行以上のマーカー引き」と「狂ったように書きなぐる」。これらは「思考停止の証」とした。

     

     

    「マーカー引き」。これは教科書の特に重要だと思われる部分に対して行うが、その目的は「一目で重要箇所が目に入るようにするため」だったり「印象に残したりするため」だったりする。ただ、いつのまにかこのマーカー引きが惰性となって、延々と引き続けて教科書ほぼ1ページ分すべてがマーカー色に彩られている、なんてことがある。

     

     

    マーカーで線を引きまくる場合、たいていはどこに線を引くべきか、どこが大事な記述か、などはあまり考えずにマーカーを引いている。たとえば「太字はそもそも強調してあるんだから、その前後が大事」くらい学校でも塾でも言われているので、太字の前後を延々とマーカーする。そうするとページにある太字の前後がすべて繋がって、マーカー一色になってしまったりする。

     

     

    教科書を読むのではなく、「太字の前後」という機械的思考でマーカーを引いてしまうとき、思考はほぼ停止しているからほとんど学習効果はない。ただ、「線を引いた」という「実績」は勉強したという「アリバイ」には十分だ。だからやる気が乏しかったり暗記・繰り返しを忌避する傾向が強い生徒はマーカー引きが好きだったりする。

     

     

    「狂ったように書きなぐる」も思考停止とした。私は「書く」という行為を否定しているわけではないが、ここまで書いたように「書く」という行為のもたらす「やった感」、「中毒性」を考えれば、うまく運用しなければならない手法だと思っている。「書く」はもっとも効果的な局面で使わなければならないし、そこに至るには個人的な試行錯誤が、またそれが難しい生徒には指導者の適確なレクチャーが必要だろう。

     

     

    「狂ったように書きなぐる」は単語や漢字を暗記する際によく見られる。たしかに単語のつづりや漢字の書き方をマスターするために繰り返し書くのは効果的なことがある。ただ、私の考えでは、「とにかく繰り返し書く」が有効なのは初学の時期(漢字なら小学校時代)であって、一定以上の学習を積めばそれは過剰なことが多いと感じている。

     

     

    英単語を学び初めると、ローマ字との違いに戸惑う生徒が多くいる。この場合「ひたすら書く」は有効だ。「アップル」が「appuru」ではなく「apple」であることに対する戸惑いや違和感は、「apple」を書きまくって消していくしかない。漢字も小学生のうちは部首やその組み合わせも新出のものが多いので、繰り返し繰り返し書いて練習して、慣れを身につける必要はあると思う。

     

     

    ただ、学習が進めば、英単語も漢字もそのつくりや書き方に対して理屈ではない感覚・「こんなだろうな感」が生まれ、それほど書きまくらなくても覚えられるようになることが多い。だから英単語なら発音をより重視して覚えていったり、漢字であれば語彙として意味まで含めて覚えたり用例ごとマスターするようなやり方にシフトすべきだろう。

     

     

    いつでも何でも狂ったように書きまくる生徒には、やはり「書く」行為の中毒性が働いている。そして頭がほとんど動いていないのは「マーカー引き」と同様だ。

     

     

    初めに書いたが、ツイートで取りあげた4つ以外にも進学塾Uineの試験勉強では禁じ手がいくつもある。それだけ中学生の勉強はおかしな方向や易きに流れやすい(少なくとも私の指導している範囲内では)と思うからだが、最も重要なのはそれらの運用である。

     

     

    私は何でもかんでも杓子定規に「禁じ手」を適用しない。柔軟、臨機応変というのとはまた少しニュアンスが異なるが、時と場合、生徒によって運用には変化をつける。5教科でコンスタントに450点を超える生徒の勉強法には基本ノータッチ(「いつも工夫する意識を持つように」と呼びかけるくらい)だし、平均点以下の科目が多い生徒が書きまくっていてもあまり指摘はしない。言うまでもなく「書く」は勉強の基本であり、平均点に満たない生徒が勉強に自分を「乗せていく」ためには有効な手段でもある。

     

     

    中学生の指導とは、偉そうに言えば、柱(たとえばここで取りあげた「試験勉強における禁じ手」)を据えながら、それでもなお一人ひとりに合った指導を模索するあり方だ。指導とは常に動的であり、日々の指導の流れのなかでできあがってくる。生徒と向き合うとは、方向性としてのやり方を提示しつつそのやり方に固執しないあり方であるとも言える。

     

     

     

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