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塾通信
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     毎月月末には塾通信をそのままブログのエントリとして掲載していたが、
    今月から止めようと思う。理由は2つ。


    ○塾通信は「長い」

     毎月思っていたが、塾通信はブログに載せるにはちょっとボリュームがあ
    りすぎる。今使用している文字の大きさだとものすごい重さになるし、以前
    の小さいフォントだと文字が多すぎて読みづらい(と言われた)。紙上だとB
    4裏表くらいなんですがね。


    ○文体が違う


     ブログは常体で書いているが通信は敬体で書いている。書いているスタン
    スも若干異なるので、ブログに通信を載せると、ちょっと違和感があると感
    じていた。呼んでいる方はそうでもないかもしれないが、私自身は違和感を
    強く感じる。


     そんな理由で今月から塾通信は保護者の皆様にお配りするだけとした
    い。いないと思いますが、もしかして、ひょっとして、楽しみにしていてくれて
    いる方がいらっしゃったら申し訳ありません。購読希望(?)の場合、お電話
    かメールをいただければご自宅に郵送させていただきますのでお気軽にお
    申し付け下さい。


     ブログは不定期更新ですがこれまで通り更新していきますのでどうぞお付
    き合い下さい。


    | gen | 進学塾Uine通信 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    入試と通知表
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       中学では期末テストが終了しました。夏休みが明けたばかりなのに期末テストとはいつもながら酷
      な気がしますが、進学塾Uineの生徒達はテスト勉強期間中は毎日来塾して勉強を積み重ね、テス
      トに臨みました。取り組み方や意識に改善点もあり全員が満足な結果というわけにはいきませんでし
      たが、今回の反省をしっかり生かして次回へとつなげていきます。



       入試まであと5ヶ月を切った今月は、通知表―内申について概略を述べさせて頂こうと思います。
      定期テストの結果が通知表に、そして入試で用いられる内申点へとつながっていく。日々の勉強と入
      試の結びつき、またそうした制度の問題点について把握して頂ければと思います。



       まず、通知表-内申が入試でのどのように用いられるか大まかに触れてみます。




       都立入試は推薦入試と一般入試に分かれますが、中心となる一般入試では「入試得点+内申点
      =1000点満点」とする総合得点方式で選抜されるのが基本です。入試得点と内申点の比率は学校
      ごとで異なりますが、上位校では「入試得点7割:内申点3割」という比率が中心になっています。
      7:3の場合なら、入試得点(5教科500点満点)は1.4倍して700点に換算し、内申点(実技4教科を
      1.3倍して合計した51点満点。これを「換算内申」という)も300点に換算(自身の換算内申
      ÷51×300)して合計します。学校により換算方法に違いがあったりもしますが、基本的に得点上位
      者から合格となります。



       都立推薦はペーパーテストが課されませんので、多くの学校で「内申点+面接点」で合否が決定さ
      れます。内申点と面接点の割合も学校ごとで異なりますが、多くが「内申点5~6:面接点1」というよ
      うに内申のウエイトが高いのが特徴です。ペーパテストのない推薦は毎年かなりの高倍率となり、上
      位校ではオール5でも不合格者がでます。また今春より、旧学区トップ校を中心として作文、小論文
      が課される推薦入試が増えてきました。




       私立高校入試では、一般入試は多く英・数・国の3教科のペーパーテストでのみ選抜が行われ、内
      申点は用いられません。一方「推薦入試(第一志望推薦・単願)と「併願(第二志望)」では内申点が
      使用されます。ともに高校側が「内申基準」を設け、その基準に達していれば受験資格を持つことに
      なります。



       私立高校の推薦入試は検査が面接のみであるところも多く、内申基準に達している=ほぼ合格と
      いうケースも多くあります(上位校除く)。「併願」では通常の一般入試と同じペーパーテストを受験し
      ますが、「併願校(都立)に不合格ならば入学する」という約束のもとに入試得点に加点される制度の
      ため、不合格の可能性は低くなります。



       都立私立ともに入試の細部は学校ごとに異なります。都立高校では一般入試で課されるペーパー
      テストは全都共通問題と学校ごとに作成される自校作成問題とに分かれ、志望校に応じて個別の対
      策をとっていかなければなりません。そうした入試の詳細に関しては、中3の夏以降、志望校を絞り
      込んでいく段階で検討していくことになります。



       話を通知表―内申に戻しましょう。内申点が入試で用いられるならば少しでも高い得点をとるため
      に頑張る必要がある、というのは当然の考え方ではありますが、通知表―内申のつけられ方には制
      度的欠陥があるというのが私の考えです。批判的な捉え方になりますが、「立ち向かう敵をしっかり
      知っておく」という意味で眼をお通し下さい。



       通知表―内申の欠陥として3点指摘したいと思います。1つは学校間格差です。東京都教育委員
      会のHPでは、区立中3年生の通知表の評定割合が掲載されています。これを見ると、現在の絶対
      評価における評定のばらつきに驚かされます。例えば墨田区のA中学(具体的な中学校名は掲載さ
      れていません)では、英語の評定5は全体の6.8%となっています。これは相対評価の時代の割合
      (5は全体の7%と決まっていた)に近いつけ方です。一方でB中学では何と28.6%もの生徒が5をも
      らっています。全体を見ても、A中学は相対評価時代に近い割合で評価がつけられているのに対し、
      B中学は5と4の多い「インフレ通知表」という状況になっています。



       相対評価時代は、学校のレベルによって5の重みが違うということが言われました。成績優秀者の
      多い学校に通っていれば、そうでない学校では5を取れる生徒でも4や3しかもらえなかった。評定の
      割合は決まっており、評価は相対的に決定されるためです。絶対評価になり、目標の達成度によっ
      て成績がつけられることになったわけですが、上記のような大きな開きを見ると、「目標達成」を測る
      基準がきわめて曖昧と言わざるを得ません。入試だけを考えてみれば、B中学に行った方がよい内
      申をもらえて有利、という極論も可能になります。



       2つは1つめの指摘とも関連しますが、評価者(教科担当の先生)による主観や恣意性が評価に入
      り込みやすいということです。現在の通知表は「観点別学習状況の評価(通知表の横にあるABC評
      価)」をもとに5から1までの教科評定がつけられます。とりわけ各教科の観点別学習状況の先頭に
      は「意欲・関心・態度」の項が設けられ、テスト以外の要素も評価されることが明らかになっています。



       「意欲・関心・態度」は点数などの数値として定量化できません。こうしたものをどのように測り評価
      するのでしょう。定量化できないものを測るには、評価者の感覚に拠るしかすべはありません。



       こうした評価方法では、おとなしい生徒、内向・内省的な生徒は「意欲・関心・態度」に乏しいとみなさ
      れる可能性があります。また、評価のためにことさら意欲があるように振る舞う生徒が出てくることは
      想像に難くありません(そんな事例は数え切れないほど耳にしてきています)。また、「中学生らしい」
      活発さをどうとらえるかは、先生の「好み」次第と言えます。「中学生は騒々しいもの」と考えればある
      程度の活発さは許容範囲となったり、「積極性」と評価されることもあるでしょうが、それを「乱れ」とと
      らえれば評価は下がることになるはずです。



       3つは進路指導の材料が内申点しかないことです。内申点と実力のバランスが取れていない生徒
      というのがある程度存在します。実力(偏差値)に比して通知表がふるわないというケース、またその
      反対に内申はよいが実力がないというケースです。



       90年代半ば、学校から偏差値が追放(業者テストの利用廃止)された結果、学校の先生方は内申
      点しか進路指導の材料がなくなりました。本番を模したテストでで生徒がどのような答案を作成し、ど
      のような偏差値をとってきているのか。こうした材料なしに進路指導を行うのは、オールなしに海に漕
      ぎ出すようなものです。中には塾や個人で受験した業者テストを持参させて進路指導を行う先生もい
      らっしゃいますが、それは少数派です。



       偏差値という指標がない結果として、学校では基本的に「安全志向」の進路指導が行われます。内
      申基準を満たしていなければ「無理だから志望校を変えなさい」といわれるケースが大半です。こちら
      は「安全志向」ゆえ合格可能性自体はは上がることが多いのですが、内申中心の進路指導の「悲
      劇」は「内申に比して実力がない」生徒の場合に多く起こります。



       今春の入試では、「塾に通っていない」「学校ではまじめで内申がよい」「旧学区2番手校以上の上
      位校志望」という生徒が都立に不合格だったという話をいくつも耳にしました。担任の先生も入試に不
      慣れだったのかもしれませんが、内申の良さに中学側もご家庭も「実力に下駄を履かせてしまった」
      という可能性が想像されます。実際業者の入試結果リサーチでも、そうした不合格者が近年増えて
      いるという結果が出ているそうです。

       入試には様々な不確定要素があります。生徒自身が入試当日ちょっと風邪気味だったりすれば、
      実力は発揮できないかもしれません。そうした事情をすべてくみ取ることができないのが入試です。し
      かし、取り払えるべき不確定要素や不公平はすべて取り払わなければ、生徒達に努力の必要性や
      重要性を真剣に訴えることはできなくなります。



       私は学校での学習に対し、何らかの評価をすること自体には反対ではありません。甘めの評価を
      下す学校でも厳しい評価をする学校でも、生徒や保護者が「そういうもの」として評価をとらえればよ
      いわけです。しかし、評価が入試で使用される内申と結びつくから様々なゆがみが生まれてくるので
      す。通う学校によって、評価する先生によっていかようにも変わりうる内申。定量化できないものによ
      って評価され、内申のために生徒達は評価者の顔色をうかがい「心」と行動をねじ曲げていく。私はこ
      うしたゆがみを生む内申という制度は、欠陥だと思います。



       批判はこのくらいにしておきましょう。いくら欠陥だと言いつのっても、制度として存在し入試でそれ
      なりのウエイトを占めるのが内申です。私の仕事の1つは志望校合格へと導くことにありますので、
      「敵」を熟知した上で抜かりなく対応していきたいと思っています。





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      進学塾Uine 通信'gen-uine' vol.4 「理解の深さ」
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         中学ではやっと定期テストが終了しました。定期テスト中は通常授業をストップしテスト対策質問教
        室に切り替えるため、、テスト実施に最大2週間の差がある現状では1ヶ月ほど通常授業を進めるこ
        とができません。私としてはやっと通常授業を再開できる、という思いです。



         とはいえ、定期テストは中学生にとって非常に重要な存在です。定期テストを大きな判断材料とす
        る内申は、さまざまな形で入試に利用されます。また定期テストという期日の決まった目標に向かっ
        ていくことは、生徒一人ひとりが試行錯誤しながら自己管理能力を身につけていくまたとない機会と
        なります。定期テストというものは単に結果の点数にこだわるだけでなく、勉強のやり方を工夫したり
        計画性を身につけたりするためのものでもあるわけです。



         進学塾Uineでは、定期テストの目標を「5教科合計400点以上(1教科平均80点以上)」に据えて
        います。この目標の意味するものはさておき、生徒一人ひとりがこの点数をクリアできるようにさまざ
        まな手立てを講じます。といっても、私は定期テストの過去問を手に入れてそれを予想問題としてや
        らせたり、過度な働きかけをもって生徒を勉強に仕向けることは致しません。上で触れたように、定期
        テストは点数にこだわるだけでなく、これからの勉強のための土台となる力を身につけるためのもの
        でもあります。そのためには生徒達が自らを勉強に向かわせることができるようなソフトな仕向け、働
        きかけが必要です。



         ちょっとネガティブな側面から触れてみましょう。定期テストで400点に届かない生徒の特徴を挙げ
        てみると、まず以下の3点が挙げられます。



         1つは単なる「勉強時間の不足」です。これは最も単純な理由であるとともに、最も深刻な理由とも
        なります。子どもが勉強しない原因はさまざまです。それまでの勉強に対する動機づけ(ご家庭、学
        校による)がまずかったのかもしれませんし、まだまだ精神的に幼く、勉強=やらなければならないこ
        とと、自分がやりたいことの折り合いがつけられないのかもしれません。また、勉強に対して強い劣等
        感をもつがゆえに勉強から逃避する(できない自分と向き合いたくない)のかもしれません。何が原因
        かを周りが見極め、その子に応じた対応を、時間がかかるのを覚悟でじっくり取り組んでいかなけれ
        ばなりません。



         私は単なる勉強不足の生徒に関しては、まず通塾頻度を上げさせます。勉強も「型にはめる」こと
        は有効です。まず塾に来させ、嫌でも勉強するという形に持ち込んでしまうのです。塾には生徒を勉
        強から遠ざけるゲームやテレビもベッドもありません。いるのは私のような口うるさい教師。おしゃべり
        も居眠りもろくにできません。まずは勉強時間を積み重ねるところから始めます。今回は開塾して初
        めての定期テストでしたが、土曜日曜は午前中から勉強会として来塾させたのもそうした目的があり
        ます。



         2つめは「計画性のなさ」です。「やるぞ!」と思い勉強を始めても、定期テストの範囲は長く、複数
        教科をこなさなくてはならないため、途中で気持ちが萎えてしまう生徒が案外多いのです。―テスト
        まであと2日。学校のワークもプリントもまだ終わらない。もういいや!次頑張ろう!―こんなことにな
        ります。こうした生徒の特徴は、やらなければいけない作業を把握していないことです。勉強をするに
        あたり、試験範囲表を見て「あ、これやろう」的に勉強を開始するものの、常に行き当たりばったりの
        作業に終始します。そして大抵は作業をやり残したまま試験に突入することになるのです。



         そうしないためには、「やるべきテスト勉強の総量(ワーク、プリントの類)」と「何日何曜日にどのくら
        い作業をこなすのか」を可視化し、それに沿って勉強を進めていく必要があります。ただやるのでは
        なく、なすべきことを可視化した上で、その進捗状況を見極めていく。進学塾Uine では「作業一覧
        表」と「作業進行表」を試験勉強前に作成し、それにのっとって勉強していきます。これの「きつい」とこ
        ろは、作業を後回しにしてしまったら、やっていないことが一目瞭然になることです。勉強はほとんど
        手をつけない方が気持ちは楽です。しかし、「やっていない自分」と向き合うことはつらい。しかしその
        自分と向き合いながら乗り越えていって欲しいと思っています。



         3つめ、これが今回のテーマでもあるのですが、勉強時間もしっかりとり、計画通りに進めてもなか
        なか400点を超えない生徒というのがいます。具体的には330点くらいから380点くらいの間に位置
        する生徒です。平均以上ですから決して悪いとは言えませんが、かけている努力に比して今ひとつ
        成績が伸びていない。中学校の定期テストくらいで勉強の向き不向きや決定的な能力その他の問題
        が顕在化することは極めて少ないので、これには別の理由があるはずです。


         私はその理由は「理解」の深さにあると考えています。「わかった、理解した」 という「合点」の感覚、
        深さの違いが、定期テストひいては勉強の成果の差となって現れます。



         どんな教科でも同じです。勉強というのは問題が分からなかったり間違えたりしたところからスター
        トします。結果を残す生徒というのは、分からないこと、できなかったことに対して強いこだわりを見せ
        ます。「なぜ分からないのか、できなかったのか」という「なぜ」を追求します。質問の内容も、「先生、
        この問題はどういう考え方をすればこの答えになるんですか?」や「先生、これはこういう考え方で解
        いてもいいですか?」といった「解き方、方法、ルール」に対する質問がほとんどです。



         一方で結果が残せない生徒というのは、分からないことを放置はしないまでも、「一度教師にたず
        ねて終わり」だったり「解説をざっと読んで正解を書き写し、それで終了」というような淡泊な取り組み
        方をします。外から見れば、きちんとやっているように見えます。しかし、その「理解」の仕方が浅いの
        です。「理解」が深さをもっていないために、同じ間違いを繰り返したり、ちょっとした類題でも解けな
        かったりということが起こります。



         間違えた問題の正解の書き写し方を見れば、生徒が問題をどのように理解したかがだいたい分か
        ります。理解の浅い生徒は、「解答・解説をそのまんま」書き写します。綺麗に丁寧に、です。しかし
        同じ問題を解くとまた間違える。きちんと理解しているわけではないのです。一方結果を残す生徒
        は、書くべき事柄が最小限に絞り込まれています。自分が間違えたポイントだけ書いてあったり、解
        説には書いていないことがらを「重要!」と添えて書き込んだりします。次に解いたときには必ず解け
        る形で、不正解を自分のものにします。



         どうしてこういう違いが出るのか、こちらも3点ほど理由はあろうかと思います。1つは性格によるも
        の。「向上心」に満ちているタイプ、「負けず嫌い」なタイプは極めて勉強向きな性格です。こうした生
        徒は「成績を上げる」ということに貪欲で、テストごとに勉強方法を改善したりやり方を工夫したりと、
        勉強に対して常に意識的に取り組みます。自ずと成績も伸びていきます。一方で何事にもこだわり
        が薄いタイプ、マイペースなタイプは勉強に対して概して淡泊です。前者に比べればどうしても「やる
        気」に乏しく見え、大きな変化を遂げるには相当のてこ入れが必要だったりします。



         2つめは精神的な成熟度の違いです。勉強というのはつまるところ個々人の「内省」の度合いにか
        かっています。深い理解というのも、結局はどれだけ自分と向き合い、自分を変える努力をしていける
        かという自分との勝負です。それには精神的な「大人度」が大きく関わっています。中学生だと男子よ
        り女子の方が全般的に成績が良好なのは、こうしたことと深く関わっています。



         3つめは誤った勉強方法がすり込まれているケースです。これまでの塾講師生活で多く目にしてき
        ましたが、どこかの段階で勉強を強制的にやらされた(不本意な受験・キャパシティを超える学習量)
        生徒は、定期テストはまず振るいません。勉強を「終わらせること」が最優先となっており、理解する
        ことは二の次、三の次になっているからです。言わば勉強は「やるだけ」のものであり、「向上心」や
        「内省」とはほど遠い、単なる「作業」に過ぎません。こういう生徒のやり方を改善するのにはかなりの
        時間がかかります。



         私の役割は、どの生徒も深い「理解」をもって勉強に取り組めるように働きかけることです。性格は
        なかなか変えられず、また精神的成熟は時間を俟つしかない側面もあります。ただ、生徒達は「勉強
        する」という環境と努力する条件を整えてあげれば、一定ラインまでは必ず伸びていくはずだという信
        念を経験から得ています。先に「型にはめる」と書きました。ちょっと聞こえはよくない言葉ですが、生
        徒達を「勉強する」という型にはめること、ここから個々の努力がスタートするはずです。



         進学塾Uine は集団指導塾ですが、生徒達一人ひとりの特性を把握し、働きかけていく力はそんじ
        ょそこらの個別指導塾には負けないと強く自負しています。目標クリアのために、生徒達の得手不得
        手、性格や特性を把握し、個別に働きかけていくことは塾として当然の役割です。自分の果たすべき
        ことがらをしっかりと見据えて今日も授業に臨みたいと思います。


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        進学塾Uine通信vol.3 「子どもに『無理を強いる』こと」
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           ゴールデンウィーク中、普段見に行くことのできない息子のスイミングを見学に行きました。今年小
          4の息子は幼稚園時代からのスイミングと小1から始めた和太鼓を習い事としています。スイミングは
          体力作りとして始めたものですが、現在は4つの泳法をマスターして「あとはタイムを縮めるだけ」とな
          り、どこを落としどころとするか思案中でもあります。

           前から聴いてはいたのですが、見に行ってちょっとびっくりしました。とにかく泳ぐんです。約1時
          間、泳ぎっぱなし。距離にして1劼呂いないまでも、数百メートルは泳いでいます。学年的にはおそ
          らく小2くらいから小6くらいの子どもたちが同じ級で練習している感じでしたが、少なくとも私の小学
          校時代の「水泳」の感覚からすれば、ものすごい練習量です。

           ところが息子も含め、練習後も皆ケロッとしている。確かに疲れてはいるものの、疲労困憊でもう動
          けないといった風ではありません。使い古された言い方ではありますが、子どものもつ力というのは
          大人の想像を超えるものだと、改めて実感した次第です。

           ここでふと思うのは、小学生も中学生も、大人が「こんなにやるの!?」とびっくりするほど勉強をした
          経験があるか、ということです。ほとんどの生徒は経験したことがないでしょう。スイミングだけでなく
          野球やサッカーでも1日中練習するという話をよく聴いたりしますが、スポーツでは経験しても勉強で
          は経験しないというのはちょっと不思議です。

           いや、経験しないどころか「勉強ばかり」していると「ガリ勉」とか「ちょっとキモイ」とか言われるの
          が、多くの小中学生のリアクションではないでしょうか。早稲田大学教授の石原千秋先生は「スポー
          ツでは猛練習が美談となって、勉強だと批判されるのはおかしな話」(秘伝 中学入試国語読解法 
          新潮選書)とおっしゃっていますが、確かに、スポーツの猛練習は「すごいね」と言われても、勉強で
          は一部のセクション(中学入試組など)以外で賞賛されるのは考えづらいことです。

           これには学校教育が「詰め込み」と批判された時代の負の遺産が大きいと考えていますが、そうし
          た背景はここでは措きます。「今」の子ども達に焦点化して考えてれば、外部から「強制」されたり、
          「型にはめる」指導をされていないことが、ある意味彼らにとって大きな「不幸」であると私は考えてい
          ます。
           
           現在の学校教育では「内発動機」が何よりも重視されます。教師の役割は子ども達の内側にある
          「やる気」の萌芽を大きくするための「支援」です。それゆえ、「やる気」を無視して課題を与えたり、ひ
          たすら「暗記を強いる」類の勉強は忌避されます。
           
           学校公開に行くとよく見る定番の風景があります。先生の問いかけに対し生徒達が「ハイハイ!」と
          挙手して「活気のある」授業です。感じられたことはないでしょうか。先生の問いかけが「あまりに簡
          単」であることを。内発動機に対する「支援」であるがゆえに、教科書に書いてある事柄でも発問して
          答えさせるという「無駄」が起こる。極端に言ってしまえば、「活気」があれば「いい授業」という錯誤さ
          え一部には見られるということです。
           
           もちろん内発動機は重要です。「やる気」が全くないのに子どもを動かしていくことなど不可能です
          (だからUineでは「やる気」だけは身にまとって来て下さいとお願いしています)。しかし、子どもという
          「未熟」な存在の「内面」に拠っては、成長を促していくことも目標を設定していくこともできません。
          「未熟」に頼るのならば、目標はとめどなく低くなっていきます。その挙げ句が「学力低下」という、子
          ども達にはなんの責任もないのに大きく割を食ってしまったという「悲劇」となったのは記憶に新しいと
          ころです。
           
           子ども達が将来、自分の頭で考え主体的に行動できるようにするためには、脳内に大量の「知識」
          がインプットされていなければなりません。我々は材料なしに考えることはできない。材料がないのに
          考えても、それは単なる「思いつき」にすぎません。思いつきでは人を納得させることも、自らを幸せ
          に導くこともできない。人に言われたように行動し、誰かによって幸福に導いてもらえるなら材料はい
          らないかもしれませんが、そんなことは不可能です。我々も、また子ども達も、自分の力で自分の人
          生を切り開く努力をしていかなければならない。
           
           勉強とは、そうした自分を形作っていくための大事な手段であり目的です。ただ、その勉強の持つ
          意味は事前には茫漠としていて分からないことが多い。足し算引き算の意義は理解できても、二次
          方程式に何の意味があるのかは未熟な自己には分かりません。歴史の年号を暗記すること、世界
          の国名と位置を覚えることが何の役に立つのか、それも「事後的に振り返ることでしか確認できない」
          (内田樹)ことがらです。勉強を始める前からその意味を理解することはできません。

           しかし、勉強は「やらなければならない」。勉強することでしか、自分は変えられません。

           このことは先日お知らせした新聞折り込みチラシやHPでも取り上げた、「生徒なりの指導はしな
          い」ということと大きく関連します。生徒ができないことをできるようにするのは塾の大きな役割です
          が、それに終始しては子どもが劇的に変わるということがありません。塾に通えば確かに成績は上が
          るでしょう(こと中学生に関して、塾に行っているのに成績が上がらないとすれば、それは通っている
          塾の質がよっぽどよくないか、勉強以外のところに原因があるかのどちらかです)。しかし、塾の役割
          は成績を上げること「だけ」ではないはずです。一定ラインまで成績を上げるだけなら、テクニカルな
          指導をすれば事足ります。しかし勉強というのは人間にとっての極めて重要な価値であるというのが
          私の考えです。勉強によって、子ども自身(もちろん大人も)が大きく変化していくことが、勉強のもつ
          意義に他なりません。

           そうした変化、すなわち子ども達にとっては様々な意味での「成長」を勉強によって成し遂げていく
          ためには、「生徒なり」の指導ではダメなのです。未熟な子ども自身の内面に拠ってはならないので
          す。教師が、大人が、確固たる信念をもって学ぶべき内容を提示していかなければならない。

           区立中学では定期テストが近づいてきています。私は昔から生徒達に、「5教科合計400点(1教
          科平均80点)が基準ライン」と言ってきました。勉強する習慣がほとんどない生徒は5教科で250点
          前後、テスト前だけ一応準備する生徒は300点前後というのがだいたいのところです。しかし、400
          点を取らなければ、様々な意味で「勉強をしたこと」にはならないと私は考えています。

           だから、私が生徒達に指示する勉強法は、400点をクリアするためのものです。(これは何も特別
          なやり方を教えるわけではありません。作業を丁寧に繰り返すという基本を守らせるだけです)。勉強
          が苦手な生徒は300点でいいとか350点で十分とかいう考え方はとらない。あくまで400点以上を
          目指す。400点をスタートラインとする。そうした勉強法と姿勢を生徒達には「強制」していきます。

           中学までの勉強には才能とかひらめきはほとんど関係ありません。スポーツや芸術には努力では
          どうにもならない領域が多分に含まれていますが、教科学習にはその要素は少ない。勉強はかけた
          時間に比例して結果が得られます。努力量が結果を左右すると言ってもいいでしょう。だからこそ基
          準を決め、それに向けた努力を重ねていくことに意味があります。

           無理だと思われた目標に対してがむしゃらに努力を重ね、それをクリアしたときの達成感、自己肯
          定感は何物にも代え難い。そして、こうした感情・感覚は、勉強によって与えられる機会が最も多いの
          です(前述したように、スポーツでは向き不向き・得手不得手などの要素が強いため、だれでも達成
          感や自己肯定感を得られるとは限らない)。

           困難に立ち向かうには「自分はできる。自分には乗り越えられる」という自尊感情が必要不可欠で
          す。親からの無償の愛によって与えられる自尊感情も当然大きな存在感をもちますが、自らが努力
          によって形成する自己肯定感、自尊感情も自分自身を動かしていく強力な力です。子ども達は社会
          に出てから、別の意味での様々な困難に立ち向かっていかなければなりません。勉強における目標
          の達成は、そうした困難を乗り越えるための自尊感情をも養ってくれます。経験値としての達成が、
          困難に立ち向かえる強い自己をかたちづくります。

           勉強によって得た膨大な知識、培った論理的思考力、〈事柄〉に向かうという姿勢、その他勉強に付
          随する努力などによって、子ども達は大きく成長すると私は信じています。そのために、大人は子ど
          も達の中に元々備わっているものに頼るのではなく、確固たる基準を示さなければならないと思いま
          す。

           私の役割は、生徒達に「こんなにやるの!?」と思われるような課題を課し、それを乗り越えさせること
          です。塾講師としてのハウ・トゥは随分積んできましたが、なすべきことは案外シンプルだとここ数年
          は強く感じています。「ゆるやか」な管理の下、生徒達自身が自律的に膨大な勉強に立ち向かってい
          けるような支援こそ、わたしの役割であると考えています。

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          進学塾Uine 通信 ‘gen-uine’vol.2 「先生、なんで勉強するの?」
          0

             表題は、ある日来塾した小6女子が、教室の本棚に置いてある新書のタイトルを見て口にした言葉
            です。

             目にした本は『なぜ勉強させるのか』(諏訪哲二 光文社新書)。著者は公立校で40年以上教鞭を
            とり、また「プロ教師の会」の代表をされている方でご存じの保護者の方もいらっしゃるかと思います。
            学校の先生の書かれる教育論は正直あまり勉強になるものがないというのが実感ですが、諏訪先生
            の書かれたものは非常に示唆的で、他書を含め多くを勉強させていただきました。
             
             「なぜ勉強するのか」―これほど初歩的で、しかし回答に窮する質問もありません。私も自分なりに
            色々考え、また納得いく回答を求めて随分と勉強して参りましたが、胸を張って生徒に(また自分の
            子どもに)「こうだ」と言えるようになったのはここ2〜3年のことです(もちろん、それが誰にも納得いく
            回答であるかどうかは別問題ですが)。
             
             私の考える「なぜ勉強するのか」の理由は、「勉強することとは、昨日と違う自分になること」というも
            のです。これは2月に配らせて頂いた新聞折り込みラシにも掲載しましたが、私は具体的に2つ側面
            を生徒たちに強調しています。
             
             1つは、人間には他の動物と異なった「勉強する力」があり、それを実践していくのは人間としてのあ
            り方そのもの、というものです。別の言い方をすれば、勉強するのに理由などなく「人間なら、勉強す
            るのが当たり前」ということです。
             
             人間としての存在意義は、勉強することにあると私は思っています。人間をして1000年前、100年
            前と違う(優れているかどうかはまた別ですが)生き方を可能たらしめているのは、勉強することある
            はずです。―人は勉強する動物である。我々は食事をしたり眠ったりするのと同じように勉強してい
            かなればならない。それが昨日と違う自分になるという意味だ。―こんな風に生徒たちに説明しま
            す。
             
             もう1つは、人間は勉強することによってしか社会的存在である自分を変えることはできない、という
            ものです。かつて人の一生は出自で決まっていました。王様の子は王様に、貴族の子は貴族に、職
            人の子は職人に、農民の子は農民になることが運命づけられており、またそれが社会に一定の秩序
            をもたらすと考えられていました。洋の東西を問わずこうした封建的な制度が長い間とられていたこ
            とは、学校の歴史の授業で学んだ通りです。
             
             日本においては明治時代になり、そうした封建的遺物である身分制度は名目的には捨て去られま
            した。そして人は、自らの努力で自分の運命を切り開けようになった。それが「近代社会」です。人は
            勉強すること、努力することで自分の生き方を自分で選べるようになったというわけです。
             
             努力で自分を変えられる社会は「平等」な社会です。努力するということは、すべての人に可能性
            の開かれた平等社会で生きるということの証なのです。勉強する、努力することを放棄するとすれ
            ば、それは自らの可能性と平等な社会を手放すということに他なりません。
             
             勉強することは近代人の手に入れた尊い権利であると同時に義務です。一人ひとりが努力し、自ら
            を変えることが、社会を昨日よりもよくすることにつながるはずです。よりよい社会を築き、次世代に引
            き渡していくことは我々の務めであることに間違いありません。勉強することとは、そうした意味意義
            を持つものであると私は信じています。
             
             以上のような理念はそれとして、現場において子ども達を勉強に向けていくためにはどうすればい
            いのか。私が教室で具体的に心がけていることはいくつもありますが、ここでは教師としてよりもひと
            りの親として強く心に留めていることを2点触れさせて頂きます。
             
             保護者の皆様が通塾を考え始めた理由は色々あるかと思いますが、「もう家庭で勉強を見るのが・
            させるのが難しくなった」というのもあろうかと思います。家で勉強を見ようにも内容が難しくなってきて
            満足に教えられなくなった・勉強をさせようにも反抗や口答えばかりで手に負えない、などはよく聞く
            通塾理由でもあります。
             
             しかしながら、「家で一人で勉強できない」生徒が成績が向上することなどあり得ません。小学生で
            あれば学校、塾で出された宿題を自分で管理して取り組む姿勢を身につけなければなりませんし、
            中学生であれば定期テストの勉強を自ら計画的に進めていくという自己管理能力が問われます。進
            学塾Uineは勉強のトータルサポートをしていく塾ですので他塾に比べれば「密着度」は高いですが、
            それでも自分で勉強を進める姿勢がなければ成績向上はおぼつきません。

             それゆえ、重要なのは勉強に対する動機付けになるわけですが、子どもたちを自主的な勉強に向
            かわせるための動機付け・家庭のありかたは1つしかありません。それは、親自身が勉強する姿勢を
            もつことです。
             
             勉強することが「なぜ」という問を拒絶するほど人間の根源的ありかただとするならば、親も勉強し
            なければなりません。新聞を読む、本を読む、社会について家族で意見を交わすなどなど、享楽的
            な日々の過ごし方に終始するのではなく広く「勉強」といえるものに触れる姿を家庭で共有していく。
            子どもを勉強に向かわせるためには、親がまず勉強に向かうということです。

             この考え方は、先に触れた「努力で自分を変える」という「勉強の本義」とは実は矛盾します。努力
            で自分を変えられるなら、それは親や家庭の影響と切り離されて実現されなければなりません。どん
            な親をもっても、どんな家庭環境で育っても努力次第で自分を変えられるのが勉強であり、教育のも
            つ力であります。
             
             しかしながら、学校も塾も、いまだそうした教育の理想をを担うまでには至っていない。私も教師とし
            て自らの力不足を痛感しますが、親としては、親と家庭の影響力の強さを実感し、反省と自己嫌悪を
            抱きながら日々過ごしています。

             私に言えるのは、塾とご家庭がしっかりタッグを組んで子ども達を勉強に向けて参りましょう、という
            ことです。塾にできることは限られています。やる気の導火線だけは用意しておいて頂きたいので
            す。勉強に対するご家庭のあり方が、学習効果を何倍にも高めます。ぜひ胸にとどめておいて頂け
            ればと思います。
             
             もう1点は注意点です。子どもを勉強に向かわせるために絶対にしてはならないのが、「物品・金銭
            で釣ること」です。
              
             昔からよく耳にします。「今度のテストで○位以上になったら□□を買ってあげる」「合格したらお祝い
            に○万円あげる」。という「ご褒美」。親(や祖父母)にとっては何とか頑張ってもらいたいという気持ちと
            評価の表れなのでしょうが、これをやったらもう終わりです。塾に通わせ、いくら勉強するように促して
            も全く無意味です。
             
             勉強の価値をお金や物で購っては、「勉強とは問答無用でやらなければいけないもの」という理屈
            は子ども達には伝わらなくなります。ここまで述べてきたように、勉強とは人間ならするべきものなの
            です。何かを対価として与えられるからやる、という性格のものではありません。

             お金や物で動機づけられても、今日の宿題や明日の定期テストといった短期的な目標に対しては
            努力を見せる子どもはいます。なぜかといえば、目の前にぶら下げられたニンジンと、それを手に入
            れるための努力とが釣り合うとみなすからです。越えられそうなハードルに対して魅力ある褒美が与
            えられるときのみ、そうした動機づけは有効です。しかし例えば、入試という目標に対してはまったく
            働きません。入試とは目標達成のため中長期にわたって努力を重ねることであり、そのためには勉
            強そのものに自分の納得できる理由付け(勉強にやりがいを感じる、将来○○になる、大学受験で□□
            大を目指す、あこがれの高校にどうしても入学したい、などなど)がなければなりません。そうでなけ
            れば、長い受験勉強を乗り切ることなど不可能です。きつい受験勉強の努力に見合う「ニンジン」はど
            れほどのものなのでしょう。
             
             私のこれまでの経験では、それまで金品で動機づけられてきた生徒は受験期に例外なく息切れし
            ます。中長期の努力を支えるための勉強の意味を、自分なりに設定することができていないからで
            す。「今度成績が上がれば○円もらえるから」「○○を買ってもらえるから」でやってきたツケをこんな大
            事な時期に払わされるのです。
             
             勉強する価値が見つけづらい現在、それでもなお子ども達に勉強を取り戻すには、我々大人が子
            ども達の勉強について真剣に考えることからしか可能性は生まれません。私もできうる限り真剣に向
            き合って参りますので、保護者の皆様もぜひお力をお貸し下さい。

             

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