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関係代名詞の授業 その4
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    今回は6時間で英作文マスターまでもっていくことに決めていたので、かなりタイトな授業になったが、前半の後置修飾、日本文による体言止め、左から右への日本語訳などはたっぷり例題演習をさせて省略しなかった。後半の関代の選択から英作文までは一気に進めたが、前半で習熟したことがしっかり生きたと思う。英作文まで一気にやれるというのは全体像を俯瞰する意味でとても有効だということも実感した。これは1人で全てを教えている個人塾ならではの利点だろう。


    反省点としては、後置修飾についての説明の位置づけがある。関代は後置修飾なので導入としては当然アリだろうが、やはり後置修飾の説明で日本語→英語の一度やったあと、再び日本語で体言止めをやるのはスムーズさに欠けた。この点は授業計画を立てるときに悩んだことがらだったのだが、後置修飾にはどうしても触れたいので導入にした経緯がある。ただ結果としてややスムーズさを欠いてしまったので、これは独立した1つの授業にしても良かったと思う。関代授業の数日前にでも後置修飾の授業をやっておき、関代は体言止めから入った方がスムーズだったかもしれない。


    また、前置詞プラス関係代名詞はそいつつなぎからは離陸させた方がスムーズかもしれない。「a boy with whom I often play soccoer  少年/そいつといっしょに/私はよくサッカーをする」のようにしてそいつつなぎのバリエーションとすることも可能だが今回はしなかった。体言止めとそいつつなぎによる習熟は早く確実なので、十分習熟した後に文法的アプローチでやった方が混乱がなさそうだと判断した。


    塾を作って3年、毎年関代の教え方は改善を目指しているが今年は今までで一番よかったと思う。それにしても思うのは、上江州先生の考案された体言止めとそいつつなぎの威力。英作文まで6時間以内に習熟するなんて、以前のやり方ではありえなかった。


    上江州先生ご自身は「やり方を工夫するのは、同じやり方でやっていると飽きてしまうから」なんてご謙遜なさるが、こういう錬磨は生徒達への確たる視線のありようと授業そのものに対する強い確信がなければできるものではない。先日お話しさせていただいた際にも溢れるほどのアイデアをご教授頂いた。それらを用いて授業のレベルアップを図ることももちろんだが、塾講師たるもの、自身による工夫と研鑽を欠かしてはならないと思いを新たにしている。


    今回の連続エントリーはちょっと長くなりましたが、お読み頂いた皆様、ありがとうございました。 



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    関係代名詞の授業 その3
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      (前回の続き)ここでwhoやwhichをどうやって選ぶのか。それをやるために「『そいつ』つなぎ文」をつくる。日本語の体言止めの文を「左から右へ文」に書き換えるのだが、名詞とその後ろの部分の間をつなぐ言葉として「そいつ」を入れていく。このとき、「そいつ」なのか「そいつ」なのか、そして「そいつ」なのかにこだわらせる。


      「私が知っているその少年 → その少年/そいつを/私は知っている」
      「トムが昨日買った辞書 → 辞書/そいつを/トムが昨日買った」
      「私が駅で会った男性 → 男性/そいつに/私が昨日駅で会った」


      初めは目的格だけで。次に主格(もちろんここでは目的格と主格とかは言っていない)。


      「少年は野球をする → 少年/そいつは/野球をする」
      「女の子は速く泳ぐことができる → 女の子/そいつは/速く泳ぐことができる」
      「犬は公園を走っている → 犬/そいつは/公園を走っている」
      そして所有格も。


      「髪の長い少女 → 少女/そいつの/髪は長い」
      「屋根の白い家 → 家/そいつの/屋根は白い」

      「そいつ」を入れるのは最後にする。まず名詞とその後の修飾部分を書いてから、穴埋めのように「そいつ」を入れていく。これを30文くらいやる。


      で、ホワイトボードに埋まった日本文の「そいつ」に下線を引いて「は」「の」「を」「に」を○で囲み、発問する。「この語尾、なんかでやったよな?」。ここで英語が得意な生徒を指名。すると「代名詞?格変化?」なんて返ってくる。狙い通りだ(笑)


      「関係代名詞はこの『そいつ』にあたる部分。だけどさっきの例文で見たように、who だったりwhichだったりする。この選び方は代名詞の格変化と同じ。主格ならコレ、所有格ならコレ、目的格ならコレ、ってヤツ。ただ、修飾する名詞が人か(動)物かによって使い分けるけどね。でも覚えなきゃいけないのはたった8個の単語だけ。それも新規登場は1個だけだぞ」


      こんなことを言って格変化表を書く。例のヤツ登場である。これでは先行詞という言葉も主格・所有格・目的格も全部書く。もちろん、主格・所有格・目的格の後ろには「〜は、が」、「〜の」、「〜を、に」と書いておく。


      「そいつ」の選び方を説明する時は、先行詞(「修飾される名詞を先行詞という」という説明をここで入れる)が人か物かを確認し、あとは「〜は」「〜を」などの語尾から格を確認して関代を選べばいい、とする。


      つなぎを「そいつ」で統一することにより、2文を1文にするときに必然的に登場する第2文の代名詞を意識しないで済む。2文を1文方式だとどうしても踏むべき手順が多くなり、生徒達が却って躓きやすい。手間をできるだけ省いて後置修飾をつくる方法として、この体言止めとそいつつなぎの効果は絶大だった。


      関代の選択については、昨年までは「そいつ」でつないでthatで習熟しその後whoやwhichへ、という順で教えていたがどうもまどろっこしい感じがしていたので今年は一気に関代選択からいってみた。結果としては生徒達に戸惑いはなくスムーズに習熟してくれたのでよかったと思う。


      この後は先ほどホワイトボードに書いた「『そいつ』つなぎ文」をひたすら英文にしていく。この時「 少女/そいつの/髪は長い」の所有格の文を「a girl whose long hair」みたいに作る生徒が必ず出てくる。ここでの対処は「日本語をよく見ろ」でいける。「『髪は長い』だから『髪」が主語だろ?『長い』の後ろにはなんか隠れてないか?そう、『です』だ。じゃあwhoseの後ろがlong hairはおかしいだろ」なんてやりながら修正していく。


      英作文まであと少し。今度は関代を使った日本文を示し、「関代が作る後置修飾(つまり名詞+関係代名詞節)」を〈 〉でくくらせていく。これも体言止め変換をやっていればスムーズ。基本文は皆滞りなく進めていく。


      次にその〈 〉部分をそいつつなぎ文に変換。〈 〉の下に書かせる。そして全体の英作文。どの部分が主語か、どれが動詞か、という英作文の基本通りに作っていく。かつては「関代の英作文は2通り。1つは主語が短い文(This is a boy who can swim well. みたいなヤツ)、もう1つは主語が長い文(The man whom I met at the bookstore was Tom's uncle.みたいなヤツ)」なんてパターン化していたが、もうやらない。パターン化は有効な場合と有効でない場合がある。ここでは主語/動詞から始まる基本の形から入れば十分。パターン化しない方が「関代の後置修飾は英文のある部分を作る」という意識に収斂しやすい。


      徐々に日本文に手を加えていく。関代節に不定詞や受動態が入ったりするパターンを入れて既習単元の復習もからめる。そして先行詞に最上級や他の形容詞がつくパターンをやってthatの特別用法の説明をざっくり。ここまで約5時間30分。英作文は復習が未達の場合を除きほぼ滞りなく作れるレベルまでになった。この後、2文を1文の訓練、穴埋め問題、書き換え問題をやっていくが、英作文ができていればそれを柱できる。もちろん2文を1文にする作業を通じて関代節の欠落について考えさせたり文型判断をさせるのは必須である。導入は理屈をできるだけ排していくが、習熟したら理屈を強化するのは言うまでもない(次回で終わり)。





       

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      関係代名詞の授業 その1
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        中学英語のクライマックスは関係代名詞ということで大方の異論はないと思う。英文を長くする要素の1つとして、また英語における後置修飾の"花形"として、関係代名詞の存在感は大きい。そしてまた、これほどまでに教授法の錬磨の余地が大きい単元もないと思う。


        何度も書いているが私は大学入試まで英語は全然だったので、関係代名詞もきちんと理解したのは塾の仕事に就いてからだった。勤務塾でのやり方で勉強し直したとき、「おぉ、関代ってこうやって勉強するのか」と感心したものだ。


        しかし、英語指導を重ねるにつれその教え方に対して疑問を持つようになった。当時の教え方は、
        1、2文を1文にする
        2、1を日本文に訳せる
        3、関代の穴埋め問題ができる
        4、関代の英作文ができる
        5、書き換え公式をマスター
        みたいないわゆる「塾方式」だったのだが、このとっかかりである「2文を1文にする」という方法に対しての疑問が大きくなった。確かに生徒達はこのやり方に習熟していく。しかしそれはあくまで「このやり方」にたいする習熟であって、関係代名詞の働きに対する習熟ではない場合が多い。これは2文を1文にするという機械的な作業によるデメリットなのではないか。この2文を1文という指導メソッドは長文読解法と乖離しているのではないか。


        入試問題における長文を見てみると、都立の共通問題くらいならまだ2文を1文にするという延長上にある文が出てくる。例えば

        〜He wanted to save people in a country that didn't have enough doctors .〜

        みたいなセンテンス。これなら2文を1文にする際に出てくる例文のような構成(微妙に違うけど)だから理解しやすい。しかし例えば日比谷高校の問題の中にあるこの文(第2文目)。

        〜I think there are two kinds of worlds in our life . One is a world of things we can see with our eyes or feel in our hands . 〜

        こういうセンテンスを2文を1文にという発想で理解するのは迂遠である。そんな解説はどこの塾講師もしないだろうが、2文を1文方式で関代に入った生徒は少なからず混乱する(これはたまたま日比谷なのであって他の自校作成でもこういう文はごまんとある。念のため)。

        そして高校入学後、こういう文に出会うとハタと止まってしまう生徒が本当に多い。

        〜Of all subjects that superstitions have been built around , the most outstanding is salt . 〜

        前置詞aroundの処理が難しいとかいうより、2文を1文にするという発想でこの文を理解するのは困難だ。


        つまり、2文を1文にするという方法は関代の眼目である後置修飾への意識を醸成しづらい。確かにできる生徒は、その後の演習と長文読解を通して感覚的に後置修飾をつかんでいく。しかし2文を1文にするのが関係代名詞だという理解で入試を乗り切った生徒で、高校入学後に上のような文を適切に後置修飾として判断できる者は限られている。そういう現状の中、いかに関代を教えるべきかという課題を自分的には持ち続けていた。


        そんな時、kamiesu先生と猫ギター先生がロカビリー先生の塾に訪問されたときのブログ記事を拝見した(ロカビリー先生のブログだったと思う)。そこではkamiesu先生がロカビリー先生の塾での関代の授業をされたことが記されていたが、2文を1文から導入せず、後置修飾を意識した教え方をされていることに衝撃を受けた。こういう教え方があるのかと、目から鱗がボロボロ落ちまくった。


        kamiesu先生は授業錬磨の鬼である。関代以外にも先生のブログから色々な方法論を学んで、自分の指導にフィードバックさせてもらってきた。正直言って私の中学英語指導のいくつかはkamiesu先生の劣化版コピーである。関代に関してもロカビリー先生のブログエントリーを拝見して以来、kamiesu先生の方法をベースにしてあれこれやり方を考えてきた(一応先生に直接「参考にさせて頂いています」と申し上げているのでパクリではないと思っている)。


        先日関代の授業を行った際にツイッターであれこれを書いたところ、ロカビリー先生に関代の授業についてブログ記事を、とおっしゃって頂いたので恥をさらそうと思い至った。kamiesu先生がご覧になれば「そりゃ違う」と思われるところも多いだろうが、ご覧頂いている他の先生方も含めご笑覧いただければと思う(続く)。




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        「英作文」を活用する
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           中学生の英語指導に英作文を活用している塾は多いと思う。穴埋めや書き換え中心のテキスト演習だけでは養えない、英文全体を見通す力、文法力は英作文でこそ磨ける力だろう。英作文ができればテキストに載っている問題は大抵できるような「基礎例文」化を図った上でそれを徹底していくことは、文法力を強化する点において、また暗記力を養成していく観点からも好適な指導法であると思う。



           私も勤務時代のペーペーの頃からこうした英作文指導を柱として英語の授業を行ってきた。以前から書いているように私は英語はまったくの劣等だったので、こうした方法はもちろん勤務塾で学んだものだ。「基礎英作文」として精選した英文を単元ごとに20〜30文用意し、それをまとめテストとして課していく。例文を記したプリントを配布した上で解説授業を行い、あとは「ひたすら暗記しろ」と指示。その効果は抜群で、地域では「英語ができるようになる塾」という評判をもらっていた。 



           どんな優れた勉強方法も万能ではない。こうした「基礎英作文」方式も例外ではなく、この「基礎英作文」を暗記しても英語(文法)ができるようにならない生徒は絶対にいる。本人の能力の問題だとかやる気の問題だと片付けてしまうのは簡単だが、それは塾講師としての堕落だろう。さぼっているわけではなくそれなり(全体の約9割)に暗記はしている。それなのに文法の定着が悪く英語の成績が伸び悩んでいる。ここで問うべきは自らの指導でなければならない。



           上記のような生徒の特徴として「ひたすら暗記」はまずまずできる。特に瞬発的な暗記(要するにやっつけ仕事)には長けている。ただ、その暗記はあたかも電話番号を覚えるような無機質さで、こちらが企図・指示した文法項目の確認・意識の作業がすっぽり抜け落ちている。要するにド暗記はできるが覚えた文がもっている文法情報を自分のものにしたわけではないので、他の英作文やテキスト演習に応用が利かないのだ。



           これは以前も書いたが「レファレンス能力」が育っていないから起こるミスマッチだと考えている。参照力というのは抽象化と並んで勉強における最も基本的な力の1つだ。与えられた例をもとにそこで必要とされる思考を真似して(なぞって)いく。Aという材料とBという材料をもとにしてCという考え方を導いていく。こうした参照(レファレンス)が勉強のステップアップを可能にし学力を形成していく。逆に言えば参照力がなければやってもやっても実力は伸びていかず生徒は徒労感を感じたりもするだろう。



           精選した(ここ重要)英作文テストは言わば参照力がある生徒向けの仕様だ。参照力があれば暗記した英文をもとに様々な問題に対処していくことができる。だから覚えたらその分だけ実力がつく(もちろん英作文だけが英語力を保障するわけではないので他の要素〔学校の授業などのプラス側面〕も多分にあるが)と言える。他方で参照力がなければ覚えるには覚えたが、それが別の局面で生かされない。参照力という基礎力が不十分なのだから当然といえば当然だ。だからこうした生徒の指導は、参照力そのものを涵養する取り組みでなければならないと思う。



           話は逸れるが、こうした「参照力」のある生徒というのは体感的には減っていると思っている。ゆとりの弊害なのかどうかは分からないが、少なくとも学校の成績を見たとき、オール4、オール3の生徒のもっている参照力(それが偏差値に繋がってくる)は私が仕事を始めた19年前よりも低下しているのではないか。だから十年一日のごとくの指導をしていては対処できないとも思う。指導法は日々刷新しなければならない(自戒。基礎英作文に関していうと、何年も使い回しができるので教師はものすごく楽だ。だからこそ堕落に繋がりやすい)。


           じゃあ英作文はやらないのかと言えばそうではない。やはり英作文は文法の定着には最も好適な手段だと思う。それを使わない手はない。どうするのか。私は参照力が弱い生徒に対しては徹底して参照する機会を与えてやればいいと思う。つまり、英作文を「基本文」扱いして精選したものを暗記させるのではなく、ひたすら問題を与え続ける。20〜30文暗記させる代わりに、100文くらい英作文を作らせる。このとき、似た英文があってもいい。物量作戦というわけではないが、たくさん書かせるなかでルールを想起させ、参照力を強化していくという目論見だ。



           ウチでは今、中1生が複数形をやっている。レファレンスが弱い生徒だとちょうどこのあたりでガクンとくる。be動詞、一般動詞(一人称・二人称)と分けてやってきた。丁寧に、しかし暗記もののテストはガッツリ入れてきた甲斐があってそれぞれを独立させた形での理解はしっかりできている。さて複数形に入り、両者が混在してきた。ちょっと混乱してくる。加えていわば第三の参照要素の新しいルール(複数形)まで考えて英文を作らなければならない。ここでものすごく混乱する生徒が多い(一方、ここを大きなつまずきなく乗り切れる生徒は相当能力が高い)。私の指導している生徒はここでつまずく「未完の大器」ばかりだ。教師の責任でできる方向へ向けていかなければならない。



           水曜日、be動詞から始まって複数形まで、これまでの復習としての英作文を約30文やった。みんなボロボロである。できるまで居残らせ、最後までやった生徒は涙までこぼしていた。頭は大混乱だったろう。ここで宿題で追い込んでは逆効果だ。クールダウンできる程度の量の宿題だけ出し、今日の授業でまた英作文。今日は50文くらいこなした。出来は水曜に比べると雲泥の差である。しかしまだまだ。来週はもう50文は新しい文に当たらせようと思う。



           真面目にやりさえすれば確実に力が付くことを実感して欲しい。成功体験は勉強に対する最も基礎的なモチベーションだ。「できるから気持ちがいい。だからもっとやろうと思う」という好循環を作り出せるか否かは講師の工夫に拠るところも大きい。





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          大学入試と英語と高1授業
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             今週から新高1生の授業を本格的に開始した。


             以前も書いたように高校部をつくるのはもう少し先のつもりだったが、中3生と保護者の方々にご要望頂き、予定を前倒しした。小中学生の塾としての足場も固まっていないうちに高校部をつくることには抵抗がありものすごく悩んだのだが、最終的には「悩んだらやれ」という自分のモットーに従った。 


             高1は最初から全速力である。文法・構文の解説授業を行い、単語と文型判断、基礎構文の英作文テストを並行して行う。高1のうちに読解に必要な文法と基本的な単語力は身につけておきたい。単語はZ会の『速単・入門編』を、構文はこちらもZ会の『101』を使用する(もちろん演習用に他のテキストもある)。前者は遅くとも秋までには終了させたい(簡単だから)。


             大学受験指導をやっている講師なら誰でも感じていることだと思うが、大学入試は英語でほとんどが決まる。「英語だけできて他はダメ」な生徒ならそれなりの大学(成成明武くらいのイメージか)に合格できるが、「英語だけできない」生徒が合格できる大学は相当下のレベルになる(今は『合格できる大学がない』ということはない)。昨年度予備校で教えていた生徒の入試結果は、順当に「英語のできる順」に落ち着いた。私が教えている現代文は、残念ながら「オマケ」「補強項目」である(もちろん最上位大学は現代文・小論文ができなければ当然ダメ)。また、高校時代の友人で「英語の偏差値40・数学物理の偏差値70」というのがいて、「俺は英語をやらずに大学に合格する」とうそぶいていたが、彼は2浪して私大の2部に行った。事程左様に英語は重要なのだ。


             また、大学入試の結果は、高校入試時点の偏差値・進学した高校のレベルと強い相関性がある。独断で大雑把にグループ分けしてしまえば、都立高校で総合得点800点(偏差値60〜レベル)ならGMARCH以上、700点(偏差値54位~レベル)なら成成明武以上、600点代以下はそれより下の大学というところに収まる(もちろん現役での話)。要するに規準は違えど、大学も入学した高校の偏差値とそう大きく変わらないところに合格するということだ(国立大はまた違った要素が加味されるので一概に偏差値だけで判断できないが、現役で合格するには総合得点800点以上の都立でなければ難しい)。


             例えば地元墨田区の墨田川高校。我が母校なのであれこれ言ってもいいだろう(笑)。ここは合格基準では総合得点は700点をちょっと切る(今年は超えたかな)。偏差値は52,53が合格者の下限だろうか。平均はおそらく55くらいだろう。


             教え子もたくさん通っているが、墨田川でGMARCHに合格するのはクラスに1~2名いるかいないかだ。成成明武や日東駒専がメインである。墨田川で「頑張って受験勉強した」生徒の収まり方は大体こんな感じになる。


             墨田川は最近GMARCH以上の合格実績をあげてきているが、そのほとんどは2クラスある「特進クラス」の生徒が出した結果である。墨田川は偏差値50代前半から合格者が出るが、都立入試が厳しい今、成績に余裕のある層が安全策で受験するようにもなっている(そういう教え子がこれまで何人もいた)。特進クラスの生徒はおそらく入学時点で60程度の偏差値があるだろう。こうした生徒がGMARCH以上の合格実績をつくっていると思って間違いない。


             高校部をつくった一番大きな理由は、こういう「既定路線」的な大学進学の現状を打破し、生徒達を高校入学時点からステップアップさせたいからだ。竹早や駒場からGMARCH、墨田川や城東から成成明武は「普通」の結果なのである。そうではなく、総合800点クラスの都立からなら早慶、700点クラスの都立からGMARCH、それ以下の高校からでも成成明武クラス以上を目指したい。そのための「高1しょっぱなから全速力」である。特に東京都は入試日程が終了するのが早い。都立推薦の生徒なんか、合格から入学まで2ヶ月もあるのだ。ここで勉強の感覚を鈍らせてしまう。だから、特に勝負の英語だけはチンタラやってたらダメなのである。


             私は高校時代、英語は(も)できなかった。できなかったからこそ、感覚ではなく理屈で「できるようになる」すべを心得ているつもり。それを生徒達に伝えていきたいと思っている。





             
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