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体験入塾の逆説あるいは入塾におけるミスマッチ
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    講習の欠席
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      多くの塾で夏期講習が終了しつつある。進学塾Uineは昨日で24日間の予定を無事に終えることができた。ただ、本年もって48の私は正直10時-22時の講習がきつくなってきており、「働き方改革」を進めなければならないと本気で考えている(笑)あと5,6年はこのスタイルでいけるだろうが、10年後に同じことができるとはとても思えないのが正直なところだ。

       

       

      私の衰え話はさておき、講習といえば欠席の扱いが避けて通れない。特に夏期講習は行楽シーズン、帰省シーズンということもあって、場合によっては中長期の欠席が発生する。

       

       

      個人塾は夏期講習も年間カリキュラムを進める予定を立てることが多いし、選択制の講座を豊富に準備できるほど教室や講師に余裕もないため、自ずと「講習は全員出席」とするところが多いと思う。また保護者にとっても夏休みは「子供にしっかり勉強させるチャンス」なので積極的に講習を受講させようとする。旅行/帰省で数日欠席予定があっても、それが講習をまるまる欠席する理由にはなりづらい。

       

       

      となると、数日の欠席に対してどのように対応していくのかというのが問題となるが、それは個々の塾のコンセプトや指導形態によってまちまちだろう。

       

       

      たとえば進学塾Uineの場合、講習に先立ってまず入塾の際に「病気などのやむを得ない場合を除き、欠席はできるだけされないようお願いします」と文書でお願いしている。これは様々な場面で言っていることだが「気軽に欠席する生徒の成績が伸びることはまずない」からだ。部活で疲れた、行事で疲れた、部活の試合で帰宅が遅い、宿題が終わっていない(!)などなどですぐ休む生徒は成績が伸びないどころか、塾内の雰囲気もかき乱す。私は塾を作る時「純粋に成績を伸ばしたい、頑張りたいという生徒/保護者のための塾にしよう」と自分に誓って独立したので、こういう可能性は入塾前に排除したい。

       

       

      ただ、やむを得ない欠席はどうしても発生する。病気、怪我、法事、学校行事はもとより、夏休みの帰省や家族旅行による欠席はある程度許容されなければならないだろう(受験学年はちょっと別だが)。だから私の場合、「欠席はされないでください」と言っていても、「欠席絶対禁止!」ではなくて「塾のコンセプトの周知・欠席に対する意識喚起・予防線」的な扱いになっている。つまり、私のようなうるさ型が「欠席しないでくださいね!」と言ってもなお発生する欠席は「本当のやむを得ない事情」と考え、しっかり補習をするという立場だ(ちなみに進学塾Uineの夏期講習では中3は日中に授業を組むが、中1,中2生は夜にしか授業をやらない。中3はほとんど部活を引退しているので日中の授業でも大丈夫だが、中1・中2は部活での欠席が多くなるためだ。「休まないでください」と生徒/保護者に言うのなら、できるだけ休まないで済むようなスケジュールを組むのが務めだと思う)。

       

       

      進学塾Uineは集団指導なので、欠席補習は基本的に自習スタイル。「教室が空いている時に呼んで授業ノートのコピーを渡し、自習を進めさせて適宜質問を受ける」形で進めている。場合によっては先生を1人配置する。このやり方をうまく進めるには「欠席者がいる時に重要単元の導入はしない(自習でこなせないから)」「板書はかなり丁寧に書く(ノートコピーだけで分かるように)」を心がける。そして普段から演習時間をしっかりとり、自分で勉強が進められるように訓練しておくことも重要だ。もちろん、ノートだけで分からないことも多いのでそういう時は先生が横について解説をする(高校生の補習はこういう形では難しいので、この夏からは授業を録画して映像補習を行っている)。

       

       

      この夏も病気による1日〜2日の欠席から帰省や短期留学による中期の欠席までいろいろあった。補習では休んだ生徒を置き去りにしないよう、また一方で生徒達が「休まなければよかったな」という気持ちをわずかでももてるような関わりを同時に意識してきた(「休んでも補習があるから大丈夫」は避けたい)。目立った遅れはほとんどなく終了できたのでホッとしている。

       

       

      ただすべての補習が終わったわけではないので、講習終了翌日の今日も結局午前中から塾を開け、補習、質問、再テストである。正直結構きつい(笑)とはいえ生徒達も遅れを取り戻そうときちんと来塾するのだから、普段からの動機づけはまずまずうまくいっているのではないかと思う。

       

       

      欠席は避けなければならない。勉強優先の姿勢がないところに成績向上の芽は決して生まれない。ただし常識的な範囲での欠席にどう対応するかというのもまた、塾の運営としては重要になってくる。それが一番目立つ形で現れてくるのが長期講習を行う夏だと思う。多くの塾でどんな欠席補習が行われているのか、一度見てみたい。

       

       

       

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      生徒をどう観るか
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        生徒を「見る」ではなく「観る」である。私の抱いているイメージでは、「見る」は短期的、瞬発的に生徒を観察して関わるスタート地点だ。授業中、自習中、また質問に来た生徒の様子や反応を「見」て、よりよい関わりを開始する。そこでの「見る」はこれまでの経験や知識が動員されて行われるものであり、生徒の学力の今後を方向づける大事ないとなみである。

         

         

        「観る」は日々の生徒との関わりを支える「生徒観」を想起する。子供たちを、生徒をどのように捉え、どのような指導をしていくかの原点となる、教育者としての核と言ってもいい。「見る」がいま・ここで発揮される教師としての力量ならば、「観る」はそれを中長期的に支える決意表明でもある。生徒の「観」方次第で「見」て関わる行き先は当然変化するし、「観る」のあり方は同じ塾講師でも驚くほど異なる。

         

         

        我々塾講師は基本的に学力一点において生徒達と接している。この点において、子供のもつさまざまな力や発達と関わる学校教員とは根本的に異なっている。教員は勉強、運動、リーダーシップ、優しさ、几帳面さ、根気のよさなどなど、多様な面から子供を評価できるが、我々は学力しか評価基準をもたない。「この子は勉強は苦手だけれど○○がいいですね。そちらを評価してあげましょう」など、我々塾講師は口にできない。我々は成績向上を旨に看板を掲げ保護者から大事なお子さんを預かっているのだから、勉強以外の評価基準をもち出すのは基本NGだ。

         

         

        勉強、学力に焦点化された塾講師の評価基準は、生徒の「観」方に大きく影響を及ぼす。端的に言って、塾には「勉強ができない・苦手」が、生徒の存在そのものを「劣」、場合によっては「悪」と観る土壌が存在している。「○○(生徒名)はできないからダメ」「やらないあいつが悪い」「あいつには無理。終わってる」などと生徒を切り捨てる「観」方が、多くの塾、塾講師に蔓延している。

         

         

        先日、とある塾講師対象のセミナーに参加した。開始前や休憩時間には知り合いや同じ塾から一緒に参加した仲間内でのおしゃべりがそこかしこから聞こえてくるが、この日のそれはちょっと不快なものが多かった。私の前に座っていた上司と部下であろう二人の会話。上司とおぼしき講師が教え諭すように語るのは、いかに生徒を御すかという生徒コントロールの「テクニック」。そして言葉の端々にもれる「ダメ」「無理」「終わってる」などのネガティブワード。とてもここでは書けないような話も多く、聞いていて苦痛だった。

         

         

        「できない」「やらない」に対する「観」方の違いを生むのは、生徒への愛情の有無などという情緒的なものではなく、塾講師としての己に対する(半ば無意識的な)立場の捉え方だと、私は思う。自分を生徒より大きな、上の存在として無意識的に捉え、固定化していれば、切って捨てるように生徒を「観」て・「見」て、関わるような態度につながることがあるだろう。一方で自分を生徒の随伴者として位置づけたり、生徒が自身を超えることを望むようなこれまた無意識的な態度は、その可能性を最大限に伸ばすような「観」方・「見」方と関わりを生み出すに違いない。会話に耳をそばだてるだけでなく、多くの先生方と実際にまたSNSなどでやりとりする中で、両者の違いというものをひしひしと感じてきた。

         

         

        「教える」という行為は上と下という立場の固定を常に伴う。どれだけ教授法に工夫を凝らしても、また自省的にふるまってもそこから完全に自由になることはできない。しかし、切って捨てるような生徒観は自分自身の小ささと尊大さの露呈であり、塾講師としてだけでなく人としてのあり方が問われる。私自身、自らがそうなっていないか常に反省的に振る舞わなければならないと思う。「生徒切り捨て観」に陥るのはまっぴら御免である。

         

         

         

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        都立入試に思うこと その1 国語の難化〜今年の戸山から
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          都立入試の問題は英数国を独自に作成する自校問題作成校と一律の共通問題を実施する共通問題校に分かれているが、昨今気になるのが国語の難化である。これは自校作成校で著しい。もちろん自校作成校といっても15校(都立一貫併設型は5校共通問題)あるのでレベルには結構な差があるが、とりわけトップ3校とそれに準じるレベルは下手な大学入試より難しい国語問題を課す。

           

           

          ここでは戸山を取りあげてみたい。戸山はかつての2学区トップ校で、位置づけとしては東京都東部の単独2番手校である。部活も行事も盛ん、大学合格実績も(都立としては)まずまずで人気が高い。今春の入試では男子の倍率(応募)が2.39倍と昨年から0.5ポイントも上昇した厳しい入試だった。

           

           

          以前から戸山の入試問題は難しい。これは国語に限らず、英語、数学も同様だ。戸山に続く青山、そして新宿の問題が自校作成らしい、難しいといってもレベル相応の「穏当な難しさ」である(まあ青山も癖はある)のに対し、戸山は一気にレベルが上がる印象がある。これは日比谷を意識しているのではと感じている。日比谷、西、国立のトップ3に比肩し、トップ4と呼ばれる位置を狙っているのではないだろうか。

           

           

          今春の戸山国語、大問4の評論文は鷲田清一『哲学の使い方』からのものだった(こちらから)。鷲田清一はちょっと前の大学入試出典の常連。平易な語り口で硬質なテーマ(哲学!)を語る、一流の書き手だ。もちろんこれまでにも自校作成校で取りあげられたこともある(いまちょっと見たら、古いものだとH15西『まなざしの記憶ーだれかの傍らで』があった)。

           

           

          文章をご覧頂きたいが、一見分かりやすい話のようで、最後はきっちり「価値の逆転」がなされている。かいつまんでいえば、「思考にとって必要なのは己の範疇や分かりやすさに沿って物事を見るのではなく難解なものにそのまま向き合うことであり、哲学とはそのための手立てである」ということだ。「基礎・平易から」「組み立て」「到達」といった我々がものごとに取り組む時の雛形を否定し、難解なものにそのまま向き合うことが引用を手がかりにして推奨される。大学入試現代文ではおきまりの「価値の逆転」「既成概念の否定」だが、これが高校入試で読まされる。

           

           

          また、上のリンクから全体を見れば分かるが、これは大問四、つまり全体の一部でしかない。漢字以外では小説、評論、古典絡みの説明文と3つの文章構成が都立の定型だが、これで50分しかない。おまけに大問4には200字の作文(というかテーマ的には小・小論文といっていい)も付いている。この評論でいえば、難しさに面食らっているようでは跳ね返されてしまう。「価値の逆転」という定型も選択肢の見極め方も受験勉強の過程でしっかり消化していなければ、合格ラインの得点(これはまた機会を改めて書いてみたい)は取れない。

           

           

          設問についてはちょっと文句を言いたい。ちょっと難しすぎる。問1は全体から見ないとできない問題(よい問題ではある)だし、問4は消去法を使わないと厳しい。問2か問3のどちらかをカットして記述問題にし、問4はもう少し難度を下げてもよかったのではないか。

           

           

          今年の平均点はまだ公表されていないが、ちょっと低めかもしれない。国語でやられてしまった受験生もいただろう(一方で数学は戸山にしてはとっつきやすかった)。

           

           

          難しい難しいと言っているが、昨今いわれる都立の復権は言うまでもなく自校作成問題による選抜がその主因をなしている。日比谷による最初の自校作成問題を見た時、塾関係者は「こんな問題、都立志望者にできるかよ」と半ば驚き、半ばあきれた。初めの数年は数学が0点で合格した生徒もいたという(私の教え子だと数学10点で受かった生徒がいた)。それでも貫き通した結果が、現在の隆盛と言っていい状況だ。戸山のこの問題、私は受験生を惑わせる難問としてではなく、心意気であると評価したい。

           

           

           

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          「仕上がりの早さ」を期する−進学塾Uine30年度高校入試総括
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            3月1日の都立入試の発表をもって進学塾Uineの高校入試は終了した。今年も全員が第1志望に合格とはいかず、自身に対するふがいない気持ちを引きずっている。入試結果に対する内罰的な意識と言動は指導者自身のためとの指摘もあるが、私は心から生徒と保護者の方に申し訳なく思うし、もし謝罪や涙が自分のためならもっと気持ちは楽になるだろう。恐らく私は性分的に塾講師には向いていないのだろうと、これまた自虐的に思ったりもする。

             

             

            今年の結果(合格も不合格も)を受けて思うのは学力の「仕上がり」についてだ。生徒達の学力がいつまでに、どのラインまで上がるのか。具体的には、志望校の合格ラインに対して、どれだけ早く余裕をもった仕上がりに達するのか。生身のそれも思春期の不安定な中学生相手に思い描いたような実力向上が図れないのは当然なのだが、年間のカリキュラムとビジョンとして、学力の仕上げの時期を意識するのは重要だ。そしてそれはできるだけ早い方がいいと、今強く思っている。

             

             

            進学塾Uineの生徒層は私から見れば「普通」の子たちばかりだ。具体的に言えば、塾に通っていなければ定期テスト5教科330点〜400点強くらいの層。地元の学力最上位層は川を渡って(笑)御茶ノ水あたりの塾に通ったり、地元に最近増えてきた大手に通うので、ウチのように口うるさい塾長のいる裏通りにある狭小個人塾(笑)には、良い意味で真面目が一番の取り柄である生徒が通ってくれる。ただ、真面目というのは裏を返せば「努力中心で頭の回転やよさは今一歩」ということでもある。真面目な生徒達の中にはしかるべき思考の奥行きや精神的成熟が後手に回る者も多い。

             

             

            また進学塾Uineは中1から定員一杯ということはほとんどなく、中2,中3から入塾してくる生徒も少なからずいる。地元の真面目層は勉強以外の部活にも熱心なので、「中1(場合によっては中2)までは部活を頑張りたい」として塾通いをしない(「中2(中3)までは他塾に通って、本格的な受験はUineで」という方も結構いる)生徒も多い。もちろん在籍生も部活には熱心だ。

             

             

            あれこれ挙げたら切りがないのだが、様々な状況、事情から進学塾Uineの指導はどうしても中3期に偏りやすい。生徒達の成長を俟ち、勉強に多くの時間が割けるようになり、やっとエンジンがかかっていくイメージだが、そうすると当然学力の仕上がりは後ろにずれていく。英数は8月には中3範囲を終わらせるように予定を組んだり(自校作成校を目指す上でこれは必須)中1・中2範囲の復習も中期的な学習計画を立てて演習管理をしたりしているが、正直なところ学力が仕上がってくるのは年明け〜2月という直前期になってくる。

             

             

            「入試は最後のひと伸びが勝負!」「ギリギリでもきっちり仕上げて試験に送り出す」的な言説は塾業界には多くあるが、これは高校入試では危険な発想だというのがいまの私の問題意識だ。中学生は精神的にまだまだ未熟さを抱えているということ、またこと都立高校入試は実質的に1回しかチャンスがなく、不安や緊張度がそもそも高いというのがその理由だが、とりわけ今年の入試をふり返ると強く思わずにはいられない。

             

             

            私の預かっている生徒がことさらそうなのかもしれないが、地域性として下町っ子は素直で気がよい反面、ナイーブなもろさがある。進学塾Uineの生徒は無理な受験(実力とかけ離れた高校を受けるケース)はしないので、それでもなお不合格になってしまうというのは「実力が出せなかった」というケースがほとんどだ。「出せない力は実力ではない」というのも1つの見方だが、「極度の緊張」「本番に対する不安」は未熟な中学生の気持ちと身体を萎縮させ、冷静な思考を阻害する。都立が不合格になってしまう進学塾Uineの生徒は1時間目の国語で力を出せないケースがほとんどなのだが、やはり緊張によるところが大きい(国語の科目特性もあろうが)と感じている。

             

             

            不安や緊張はゼロにはできない。でもそれをできる限り低減させるにはどうすればよいか。前のエントリーでも触れたように、指導者の適切な一言が生徒達の気持ちを救うことがあるだろう。ただ一番効果があるのは、当然ながら学力(偏差値、過去問得点)の裏付けだ。直前で不安を訴える生徒ほど、仕上がりが遅く偏差値も過去問得点もギリギリの勝負になっている。最後の最後までギリギリ感が強ければ、「出せば合格」の力も萎縮して出せなくなってしまうことは想像に難くない。

             

             

            それなら早めに仕上げるために中3範囲を早く終わらせ、復習に多くの時間を割けばいいのだが、ことはそんなにうまく進まない。できるならとっくにやっている(笑)。何といっても生身の生徒が相手なのだ。思ったように授業が進まないこともあるし、復習がこちらの企図したような効果を生まないこともある。中学生の学習指導は「三歩進んで二歩下がる」どころか「三歩進んで四歩下がり、その後二歩進んで立ち止まる」みたいなことも多いのだ。私は週間、月間の授業計画は念入りにたてるが、1週間ごとに壊して再設定することもしばしばある。「早く仕上げる」は言うは易く行うは難しであることは間違いない。

             

             

            今年の入試、私も生徒達も精一杯やっての結果であることは改めて強調しておきたい。生徒達はみな素直で私を慕ってついてきてくれた。そしてこれ以上ない努力をした。私もそれに応えるべく、過去最高の指導を胸に誓って(これは毎年そう)指導にあたった。それでもなおぎりぎりの仕上がりだったことを、生徒の問題としてではなく自身のそれとして捉えなければならないと思う。

             

             

            精神論ではなく、またメンタルのケアという学習指導の埒外の問題として捉えるのでもなく、カリキュラムや教授法の問題として仕上がりの早さ、不安や緊張の払拭を考えていく―新年度の目標をこう据えることで、30年度の入試総括にしたい。

             

             

             

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