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入試を吹っ切る
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    都立高校の一般入試も明後日と迫り、東京の入試も大詰めになった。中3生は毎日授業と自習に余念がないが、試験日が迫るにつれて不安もいや増しに増している。毎年のことだが、生徒達の不安な顔を見ればこちらも平常心ではいられない。どんな方法でそうした不安を払拭していくのか、教科指導と同じくらい神経を使うものだ。

     

     

    入試直前の不安というのは一所懸命やっているからこそ生まれてしまうという因果なものだ。たかが高校入試とはいえ、勉強の終着点は容易に見えない。勉強の入口に立ち、容易に見えない出口に向かって歩きはじめた生徒は、歩けば歩くほど、その暗さと奥深さにおののく。やればやるほど、己の未熟さを自覚し、欠落感が増してしまう。直前期、やってもやっても「分からない感」「まだある感」は埋まらず焦るばかりになる。頑張っている受験生がこうした不安にさいなまれるとは、受験の神様はなんとも理不尽なものだ。

     

     

    入試直前の不安は焦り、そして本番での萎縮を生む。未知の問題(入試はすべて未知の問題!)に対して怖れが先行してしまい、ちょっと難しかったり出題形式が変わっていたりすると心が縮こまる。平常心を失ってしまうのだ。入試本番で一度失った平常心はなかなか元に戻らない。フワフワと地に足がつかないような感覚で試験が進行し、そのまま終わってしまう。「平常心を失うのは、本当の実力が身についていないから」―それは確かにそうなのだが、まだまだ未熟な中3生にメンタルも含めた盤石の実力を求めるのは酷というものだ。

     

     

    試験会場では一人の戦い。我々は手を貸すことはできない。できるのはそれまでに不安を和らげ、萎縮する心をほぐしてやることだ。教える立場の人間は、それこそ手を尽くしてそうした生徒達の心に寄り添う。

     

     

    曰く「勉強の不安は勉強でしか解消されない。ギリギリまで努力を重ねて不安を自分の力で払拭しよう」。―入試に向かう心得として、一つの真理だろう。不安を不安をして認識するより先に、行動=勉強する。不安が生まれたら、その不安の源を勉強で消していく。初めに書いたようにこれは出口の見えない戦いでもあるが、努力の蓄積は不安を自身に転化させる。

     

     

    曰く「入試直前は励ます関わりが第一。不安を理解し、不安に寄り添い、言葉をかけ続ける」。―これも直前期はとりわけ欠かせない態度だろう。教師による一言で救われる小さく不安な心がある。そのことを理解し、寄り添う態度と言葉は、我々の存在意義の1つでもある。直前期だからといって真綿でくるむような関わりは不要だが、不安をくみ取った適切な一言で、生徒達の視線を下から正面に向けることが、戦う眼にすることが、できる。

     

     

    週末、私は「吹っ切ろう」という話をした。吹っ切るとは1つのことがらにとらわれないということだ。生徒達には入試にとらわれすぎない態度を伝えるつもりで次のような話をした。

     

     

    「入試はみんなにとって人生の一大事。私もこれまでみんなに勉強の大切さを説くとき、『どの高校に行くかで人生のレールは異なる』なんて言ってきたよね。その意味では、高校入試は極めて重要・重大なできごとで、決していい加減な気持ちで臨んでいいものではない。

     

     

    でも、別の見方をすれば、入試なんてある意味大したものじゃない。たかが入試。そんな見方もできる。だって、たった50分×5=250分、4時間ちょっとなんて、80年の人生に比べたらほんのちっぽけなものだろ?おまけに1教科最大20〜25問のテストで、君たちの何が測れる?ほんのちょっと、ほんの一面しかテストは測れない。君たちの勇気も、やさしさも、入試は測れない。

     

     

    おまけに記号問題が多いだろ?イかウか迷って迷って、ウにしたらバツだった。おまけに、合格ラインからほんの数点低いだけで不合格になった。こんなことも起こる。もちろん逆のケースもある。それで取った点数が実力なの?実力の一面しか測れないのが入試でもあるわけだ。

     

     

    私が言いたいのは、ものごとには両面があること。そして入試前の今だからこそ、それを知ってほしいということ。入試の価値や尊さとともに、入試の一面性やはかなさを知ってほしい。入試の価値の両面を知った君たちは、入試からほんの少し自由になれるはずだ。入試に縛られ、入試にコントロールされ、本番で振り回される小さな存在ではなく、入試に自然体で立ち向かい、入試を乗りこなし、自分をぶつけられるようになるはずだ。

     

     

    入試を吹っ切ろう。完全には無理だけれど、吹っ切る姿勢は君たちを少なからず解放する。『たかが入試』という吹っ切れた精神で、本番に臨んでほしい」

     

     

    教える立場として決して祈りに任せるつもりはないのだが、それでもやはり祈るような気持ちをもって本番を待つ。

     

     

     

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    隣の芝は青くない
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      連日自習に精を出す中3生数名が帰りしなに何やら話している。耳をそばだててみると「○○塾は△△(教材名)やってるよね?できる子が多いよね!」的な話。

       

       

      聞き捨てならない内容(笑)なので、「どうしたどうした」と強引に割って入りあれこれ聞いてみた。すると、どうもその塾では都立入試向けの教材をやっていて、自分たちもそれをやりたいということらしい。

       

       

      都立(公立)直前対策用の教材はそれこそたくさんあって、私も以前から使っている。今年は残り3週間で投入する予定を組み、生徒達にも「2月に入ったら仕上げの教材を配る」と伝えてあった。ただそれが都立直前対策用とは言ってなかったので、生徒達は「なんでウチの塾はやらないんだろう?あれやりたいよね?」となったようだ。

       

       

      「2月になったら配る予定だったぞ!心配するな!」で済ませることもできるが、この会話にはこの時期の中3生が陥りやすい穴が見え隠れする。そういうことを自覚させるのもも教科学習とは異なる重要な学びだと思うので、授業を使って生徒達全員に2つの話をした。

       

       

      1つは「隣の芝を見ない、気にしない・見ても青いと思わない」ということ(生徒達には「隣の芝は〜」の解説からした・笑)。受験期以前は他の塾やそこで勉強している友達のことはそう気にはならないが、受験期ともなると偏差値や受験校の話が話題に上るようになって意識せざるを得なくなる。とりわけ同じ志望校の友達が別の塾に通っていて偏差値が高かったりしたら心穏やかではいられない。「あっちの塾の指導(教材!)の方がいいんじゃないか?」と思うのはしごく当然だ(これは保護者の方にもあてはまる)。

       

       

      しかし、ちょっと考えてみれば分かるが、成績というのは極めて個別的な要素でできあがっている。仮に同じ問題を解いて同じ点数だったとしても、持っている力がまったく同じということはありえない。得意・不得意単元、思考の癖、速さ、記述力、ひらめきの有無…挙げたら切りがないくらい、成績を決める要素は多様だ。

       

       

      どの塾に通い、どの教材をやるというのは確かに重要ではある。しかし、入試直前まで勉強を重ねてきたらその影響はそれほど大きくない。思ったような成績が取れていないとしたら、教材ではないもっと別のところに要因がある。不安を抱くのは致し方ないが、それでキョロキョロしたら不安は増すばかりだ。最後まで自分の弱点に向き合い、克服の努力をしよう。まずそんな話をした。

       

       

      もう1点はちょっと細かい話になるが、生徒たちが気にしていた直前対策用教材というのは、使い方を気をつけないと最後のひと伸びにつながらない、ということ。都立入試に特化した直前対策教材というと聞こえはいいが、これだけやっていても実力の向上(弱点の補強)はできないということだ。具体的に言うと英語、数学は問題量が豊富で弱点補強まで意識できるものもあるが、国語、社会、理科はそれだけやっても弱点補強にはならないものが多い。

       

       

      直前教材は都立の出題形式に合わせた構成になっている。都立の問題は大ざっぱにいえば「読ませる形式」になっているので、こういう直前教材もその形式を踏襲している。だから直前教材は「形式慣れる」という意味では極めて有用だ。

      ただこの「読ませる形式」というのは結構曲者で、テキストにすると紙数をたくさんとるため問題量としては少なくなってしまう(問題量を増やせば直前対策教材とは言えない厚さとなる)。簡単に言えばこれが国語、社会、理科の直前教材が弱点補強にならないことの主な理由だ。

       

       

      重要なのは、生徒達が「できない理由」というのは形式にあるのではなく、むしろ形式以外の知識不足、理解不足にある方が圧倒的に多いということ。1つめに述べたように、できない理由は非常に個別的なのだ。だからこの時期の勉強は、過去問をやってあぶり出された弱点項目・単元を通年用テキストで手当てし、穴をふさいでいく努力が必要となる。

       

       

      しかし過去問演習は本当に時間がかかる。5教科分を解くだけで半日仕事、加えてそれのマルつけと復習(間違えた問題の理解、解き直し)までやれば1日では終わらない生徒もいる。これが6〜7年分だ。中堅層は週末をまるまる過去問に費やしても消化しきれなかったりする。

       

       

      すると過去問以外にできる勉強が少なくなり、やるとすれば直前対策教材、となる生徒が多くなる。ただし過去問と直前教材で形式には慣れるが、自身の弱点とは向き合いづらくなる。だからこれからの時期、過去問と形式に慣れるための直前教材に流されるような形で勉強を進め入試を迎える受験生は少なくない。

       

       

      繰り返すが、過去問をやったらできない単元の復習、具体的には「総ざらい」が必要だ。特に社会、理科は「暗記だからギリギリまで伸びる」と言われることが多いが、ここまで勉強を積んできてできないということはピンポイントで手当てしても駄目なわけで、単元全部をもう一度やり直すくらいの抜本対策が必要であることが多い。具体的には、例えば社会の歴史だと「勘合貿易」が何時代か分からないのなら外交史を、「奥の細道」が何文化か分からないなら文化史を、それぞれ始めから終わりまでやり直す必要がある。項目をチマチマ覚え直しても点数には結びつかない。

       

       

      私は直前教材は残り2〜3週間の時期にやらせるようにしている。年度によっては配らないこともある。やらせる生徒とやらせない生徒も分けたりする。直前教材はあくまで仕上げの位置づけであり、ワンオブゼムだ。せっかくの教材、効果的に使って最後のひと伸びにつなげたいし、一人ひとりにとって必要なことを見極め、そこに焦点化した指導をするのは個人塾の存在意義でもある。

       

       

      こんな話を聞かされた生徒達だが、配布された直前教材も含めて各々の課題に改めて向き合いはじめた。どれだけ自分を見つめ、問題設定をし、改善のために動けるか。受験も最終段階にさしかかっている。

       

       

       

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      定期テスト勉強の「禁じ手」 その2
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        (続き)定期テストにおけるもう2つの禁じ手、「2行以上のマーカー引き」と「狂ったように書きなぐる」。これらは「思考停止の証」とした。

         

         

        「マーカー引き」。これは教科書の特に重要だと思われる部分に対して行うが、その目的は「一目で重要箇所が目に入るようにするため」だったり「印象に残したりするため」だったりする。ただ、いつのまにかこのマーカー引きが惰性となって、延々と引き続けて教科書ほぼ1ページ分すべてがマーカー色に彩られている、なんてことがある。

         

         

        マーカーで線を引きまくる場合、たいていはどこに線を引くべきか、どこが大事な記述か、などはあまり考えずにマーカーを引いている。たとえば「太字はそもそも強調してあるんだから、その前後が大事」くらい学校でも塾でも言われているので、太字の前後を延々とマーカーする。そうするとページにある太字の前後がすべて繋がって、マーカー一色になってしまったりする。

         

         

        教科書を読むのではなく、「太字の前後」という機械的思考でマーカーを引いてしまうとき、思考はほぼ停止しているからほとんど学習効果はない。ただ、「線を引いた」という「実績」は勉強したという「アリバイ」には十分だ。だからやる気が乏しかったり暗記・繰り返しを忌避する傾向が強い生徒はマーカー引きが好きだったりする。

         

         

        「狂ったように書きなぐる」も思考停止とした。私は「書く」という行為を否定しているわけではないが、ここまで書いたように「書く」という行為のもたらす「やった感」、「中毒性」を考えれば、うまく運用しなければならない手法だと思っている。「書く」はもっとも効果的な局面で使わなければならないし、そこに至るには個人的な試行錯誤が、またそれが難しい生徒には指導者の適確なレクチャーが必要だろう。

         

         

        「狂ったように書きなぐる」は単語や漢字を暗記する際によく見られる。たしかに単語のつづりや漢字の書き方をマスターするために繰り返し書くのは効果的なことがある。ただ、私の考えでは、「とにかく繰り返し書く」が有効なのは初学の時期(漢字なら小学校時代)であって、一定以上の学習を積めばそれは過剰なことが多いと感じている。

         

         

        英単語を学び初めると、ローマ字との違いに戸惑う生徒が多くいる。この場合「ひたすら書く」は有効だ。「アップル」が「appuru」ではなく「apple」であることに対する戸惑いや違和感は、「apple」を書きまくって消していくしかない。漢字も小学生のうちは部首やその組み合わせも新出のものが多いので、繰り返し繰り返し書いて練習して、慣れを身につける必要はあると思う。

         

         

        ただ、学習が進めば、英単語も漢字もそのつくりや書き方に対して理屈ではない感覚・「こんなだろうな感」が生まれ、それほど書きまくらなくても覚えられるようになることが多い。だから英単語なら発音をより重視して覚えていったり、漢字であれば語彙として意味まで含めて覚えたり用例ごとマスターするようなやり方にシフトすべきだろう。

         

         

        いつでも何でも狂ったように書きまくる生徒には、やはり「書く」行為の中毒性が働いている。そして頭がほとんど動いていないのは「マーカー引き」と同様だ。

         

         

        初めに書いたが、ツイートで取りあげた4つ以外にも進学塾Uineの試験勉強では禁じ手がいくつもある。それだけ中学生の勉強はおかしな方向や易きに流れやすい(少なくとも私の指導している範囲内では)と思うからだが、最も重要なのはそれらの運用である。

         

         

        私は何でもかんでも杓子定規に「禁じ手」を適用しない。柔軟、臨機応変というのとはまた少しニュアンスが異なるが、時と場合、生徒によって運用には変化をつける。5教科でコンスタントに450点を超える生徒の勉強法には基本ノータッチ(「いつも工夫する意識を持つように」と呼びかけるくらい)だし、平均点以下の科目が多い生徒が書きまくっていてもあまり指摘はしない。言うまでもなく「書く」は勉強の基本であり、平均点に満たない生徒が勉強に自分を「乗せていく」ためには有効な手段でもある。

         

         

        中学生の指導とは、偉そうに言えば、柱(たとえばここで取りあげた「試験勉強における禁じ手」)を据えながら、それでもなお一人ひとりに合った指導を模索するあり方だ。指導とは常に動的であり、日々の指導の流れのなかでできあがってくる。生徒と向き合うとは、方向性としてのやり方を提示しつつそのやり方に固執しないあり方であるとも言える。

         

         

         

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        定期テスト勉強の「禁じ手」 その1
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          しばらく前に以下のようなツイートをしたらそこそこのいいねをもらった。

           

           

           

          定期テストの勉強法については保護者の方も塾関係者も悩んだり試行錯誤していることがらだと思う。そこには1つの解があるわけでなく多様なとりくみがあってしかるべきだが、私の断定的な(偉そうな)ツイートにいいねをしてくださるというのは、それだけ関心が高いということだろうか。

           

           

          進学塾Uineでは定期テスト約2週間前から通常授業をストップし定期テスト準備に入る。その際に「チェックシート」なるものを配布し、勉強の進め方と課題の回転数について一律の「縛り」をかけている。まずは統一されたやり方で勉強に取り組むことからスタートするというやり方だ。

           

           

          チェックシートに記載していないやり方というのは基本的には「禁じ手」。それが上記ツイートの「ノートまとめ」「暗記カードの使用」「2行以上のマーカー引き」「狂ったように書きなぐる」だ(実はもっとある・笑)。ツイートだと字数制限がありどうしても断定調の書き方・説明不足になりがちなのでちょっと説明を加えてみようと思う。

           

           

          「ノートまとめ」と「暗記カードの使用」については「時間のムダ」と書いた。この2つは勉強法として昔から行われてきており、そんなまずいやり方なのかと思われる方もいらっしゃると思う。

           

           

          「ノートまとめ」というのは、特に社会や理科1分野、副教科で行われる。それはたとえば「教科書の内容を『簡潔に』ノートにまとめる」だったり「授業ノートをさらに『簡潔に』ノートにまとめる」だったり、あるいは「教科書やノートの内容を『問題形式で』ノートにまとめる」だったりする。

           

           

          「教科書の内容を『簡潔に』ノートにまとめる」だが、そもそも教科書というのは贅肉を削ぎ落としたスリムな記述がされているもので、それをさらに『簡潔に』まとめるのは至難の業だ。畢竟「教科書丸写し」や「太字の整理」で終わってしまうことが多い。

           

           

          「授業ノートをさらに『簡潔に」ノートにまとめる」も同様だが、教科や先生によっては授業ノートは省略が多く、何について説明してあるのか分からないときもある。その省略を補うのは結構な労力だ。こちらに質問しながらやっとのことで省略を「解読」するなんてこともある(真ん中程度の学力の生徒に多い)。

           

           

          「問題形式」は私も中学時代にやって失敗した覚えがあるが、できあがった問題は、ほとんど学校で配布されるワークやプリントと重複している。問題形式は作り終えたときにはおおむね頭の中に入っている(作問と解答作成という「俯瞰」の思考が効果的なのだろう)というメリットもあるが、ワークやプリントの方が当然問題クオリティは高いわけで、学習効果は一定以上のものとならない。

           

           

          「暗記カードの使用」。昔ながらの学習法だが、これも「問題形式のノートまとめ」とそれほど事情は変わらない。単語や漢字を暗記カードに写し、それから覚えるのなら、教科書や単語集(プリント)、漢字問題集(プリント)を紙で隠しながらテストをすれば写す手間が省ける。社会や理科の知識系を問題にして写すなら、こちらもワークやプリントを直接やればいい。

           

           

          ツイートでは「時間のムダ」と切り捨てたが、もう少し言葉を変えていえば「時間のロスが多い」ということだ。上で見たように、決して無駄な勉強とは言わないが、かけた時間に比して実りが少ないのが、ノートまとめや暗記カードの使用だと思っている。

           

           

          私はこれらの勉強法をとっている生徒を見たら「そんなやり方指示したっけ?」と嫌みったらしく指摘して、理由がもっともでなければ(学校でノートまとめを指示されていることが結構あったりするため)やめさせる。ただそれでも、これらの勉強法をとる生徒は成績中位層以下で常に散見される(いい度胸!笑)。なぜだろうか。

           

           

          それは、これらの方法が「勉強した気分」を与えてくれるからだ。ノートまとめが教科書やノートの丸写しのようなものであっても、暗記カードの記入が、教科書やプリントとまったく同じ体裁であっても、そこでの「書く」という行為と「ノートやカード」という「成果」は生徒達に「やった感」を与えてくれる。

           

           

          大げさにいえば「書く」行為には「中毒性」がある。定期テストというのはある意味短期的なインプットとアウトプットを試すものなので「暗記」の要素がきわめて濃厚なテストだ。だから勉強は自ずと暗記中心にならなければならないが、暗記というのは基本的にきつい。成績中位層以下はそうしたきつさから無意識的に背を向け、「やった感」をもたらしてくれるまとめや写しに精を出す。そしてその「やった感」は再び味わいたくなる中毒性をもっており、注意されてもまた「手を染める」ことになる(この項続く)。

           

           

           

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          向上と蹉跌 その2 〜中2・一次関数導入〜
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            私は新単元を導入する際、英語でも数学でも「初速」を重視する。生徒達には「いきなり分かること」「すぐにできるようになること」を求める。初速の速さ、つまり理解の早さ・速さは内容の定着とリンクしており、また情報処理の速さ≒「頭のよさ」にもつながっている。単元はじめを重視することで、こうした力を養いたいという思いがある。

             

             

            もちろんそこにはいきなり・すぐにやれるような授業構成、発問や助言の工夫に代表される「ゆるやかな階段設定」や「橋渡し」が重要なのは言うまでもない。そういう練度がこちら側になければ早さ・速さの要求はただの乱暴な授業に堕してしまう。

             

             

            前のエントリーでも触れた中2数学のメイン単元とも言える一次関数に今週から入った。導入が最も緊張するし、また腕の見せ所でもある。まずは「難しそう」という先入観をできるだけ与えない(これはどの学年、どの教科、どの単元を扱うときでも常に意識している)ようにスタートすること、そして解説では教えすぎず、生徒達に考えさせる道を必ず残しておくこと、の2点を意識した(これもいつものやり方)。そして初速を求めるために「いい?新単元の初めが一番重要だよ?ゆっくり分かればいい、間違えても繰り返しやりながらできるようになればいいとか思っちゃいけない。初めから分かる・できるを目指すこと。入試は初見の問題をやるんだから!」とハッパをかけた。

             

             

            一次関数というのは常に新情報(知識・ルール)が出てくる単元でもあるので混乱しやすい。この点、問題類型をすべて網羅するような解説を入れれば(ノートも取らせる)その後の演習や宿題作業はそれなりにスムーズだろう。ただそれでは生徒達が考えをめぐらせて正解に到達する道を初めから閉ざすことになる。最低限の解説から突破していく力を養わなければ入試問題をこなすことはできないのだから、やはり微に入り細を穿つような解説は慎みたいところだ。

             

             

            授業進行の詳細は省略するが、この導入では「説明された文章に対しyをxの式で表す」「与えられた式をもとに、変化の割合やx,yの増加量を求める」「式をもとにxとyの対応表を作成し、それをグラフに書く」の3つを扱った(ウイプラ「一次関数の導入(1)」)。オーソドックスにテーマごとに例題を板書解説したが、つまずくとすれば2つめの「変化の割合やx,yの増加量を求める」ところだろうと予想していた。

             

             

            ウイプラの(他の教材も同様だが)例題では「変化の割合」の出し方だけを扱う。つまり(変化の割合)=(yの増加量)/(xの増加量)と示して、実際に変化の割合を出してみるわけだ。もちろんここでは「変化の割合=y=ax+yにおけるaの値」ということも取り扱う。

             

             

            ただその後解いていく問題では「xの増加量を求めなさい」「yの増加量を求めなさい」といった例題で扱っていないものが出てくる。ここが指導でも生徒達の学習でもクライマックスで、解説で「xの増加量」「yの増加量」の出し方を教えずに、ただし橋渡し的なヒントを与えておくという手法をとりたいところだ(そこそこできる生徒なら難なくこなす問題だが、ウチの生徒にはほとんどいない)。

             

             

            私は今回、連立方程式のできが予想以上によかったことから、橋渡しとしてのヒントは最小にしてみた。「『代入』がここでも大きな武器だよ!yを求めるには?そう、一次関数の式にxの値を代入すればいい。じゃあxを求めるには?xを求めたときの逆だな!」―ここはあえて「一次関数の式にyの値を代入」とは言わなかった。板書もしていない。

             

             

            約半分の生徒はスムーズに指定のページまで終わらせることができた。残りの生徒の約半分(全体の4分の1)は分数計算に手間取り、質問せずに素っ頓狂な作業をしていて私のドヤされた(その後はスムーズだったが)。そしてそれ以外の生徒は計算にも手間取り、そして私がこの日最大のポイントと考えていた変化の割合及びx,yの増加量を出す問題で手こずり、久々の大幅居残りとなった。

             

             

            手間取った約半分の生徒の特徴には共通点がある。まず解説を聞く際の集中感が低いこと。指名しても答えるまでに数テンポを要することが多く、場合によってはボヤッとしていて怒られることもある。2つめは質問が極端に少ないこと。質問が面倒くさかったり、またプライドが高かったりするため、自分でなんとかしようとしてとんでもないやり方をしたり、いくらやっても先に進めなかったりする。この点は私が一番怒ることなのだが、それでもなかなか改まらない。3つめは、喩えて言うならcpuの性能が低いこと。新情報がいくつもあることに対して、反応しきれない。新しいことをやるとこれまでできていたことができないなど、処理能力がまだ未熟なのだ(これは指導における根本的な課題とも言えるので機会を改めてみたいが、少なくとも中学生レベルの勉強なら、正当な負荷をかければこの点の処理能力も向上していくはずだ。1つめ、2つめの課題もこの3つめに深く関わっていると思う)。

             

             

            連立方程式の習熟度の高さ(あくまで現中2生に対する絶対評価)に喜んだのも束の間で、多くの注意が飛んだ導入となった。彼らにとってもスムーズにこと運び、珍しくたくさん褒められた連立方程式の余韻を消し去る蹉跌だったには違いない。ただまだ始まったばかりだ。

             

             

            それにしても新しい単元というのは生徒はもちろん、指導するこちら側にとっても学びが多い。先にも触れたように一次関数は新情報が多いので、導入の工夫もまだまだし甲斐がある。生徒達の脳性能を向上させられるような働きかけこそ求めていきたいものだ。

             

             

             

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