無料ブログ作成サービス JUGEM
定期テスト勉強と学習の可能性
0

     

    墨田区立中学校は今週、来週で定期テストとなる。進学塾Uineではいつも通りのテスト対策をしているが、この「テスト対策」は本当に塾によってさまざまだ。

     

     

    「定期テスト?自分でできるでしょ?ちゃんとやっておいてね」くらいでほぼノータッチの上位層対象塾もあれば、定期テスト対策が指導の中心となっているところもある。対策の方法も、通常授業をストップして完全自習に切り替えるだけのところ、対策授業をガンガンやるところ、ワークやプリントを作業課題として与えるところ、はたまた学校ごとの「過去問」をストックしてやらせるという禁じ手を使うところなど、こちらも色々だ。

     

     

    進学塾Uineのテスト対策は結構シンプルで、「2週間前から通常授業はストップ、週末は試験勉強会で長時間学習」「勉強法は詳しくレクチャーし、学習は自作チェックシートで『ゆるく』管理する」「教科課題は学年で差をつけ、『ゆるく』与える」というもの。意識しているのは、定期テストの勉強というのは「自分の勉強スタイル」を確立する大事な機会であり、それを作るための勉強に導いていくということだ。

     

     

    定期テストの勉強というのは普通の中学生にとっては実にハードルが高い。成績が伸びあぐねて中途入塾を希望する生徒と話をすると、おしなべて「勉強方法がよく分からない」と言う。実は、中学では勉強方法に関して細かい指導は入らないことがほとんどだ。「ワークを繰り返して、できない問題を無くしておくように」程度の大ざっぱな指示が入ればいい方で、試験範囲表を見ても試験範囲のページしか書いていない教科も多い。小学校では「テスト勉強」的なことはしていないのだから中学に入ったらまず試験勉強のやり方を1から教える必要があると思うのだが、なぜかその点は生徒任せになっている。

     

     

    教科ごとの勉強方法もそうだが、試験勉強全体をどうマネージしていくかという視点も欠かせない。特定の教科ばかり勉強して他がおろそかになるというのはよくある話で、入試は複数教科での勝負なのだから全体の仕上がりをを意識しながら試験勉強全体を管理しなければならない。これも中学生にとってはかなりハードルの高い作業だ。

     

     

    要するに定期テストでは「教科ごとの勉強方法を確立する」「試験勉強全体を把握しながら、各教科の勉強を進めていく」ことが肝要なわけだが、これはいわば受験勉強のシミュレーションだ。受験期は自分で考えて行う勉強が多くなる。高校受験であれば塾で課題や過去問はある程度コントロールして与えられるだろうが、弱点補強や模試、過去問の復習は自分で考えて行う作業だ。この時、勉強方法ができあがっておらず、自分の勉強を俯瞰から見ることができなかったり、指導者の指示や授業を待っているだけ生徒は伸び悩む。

     

     

    高校では勉強方法はすでに確立されていることが求められる。忙しい高校生活、膨大でレベルの上がった学習に対し、勉強方法を試行錯誤して作り上げるという余裕は正直言って、ない。勉強の基本姿勢と方法は、高校入学まで、中学での定期テストの勉強を通じて作り上げておく必要がある。そしてそれらは、厳しい大学入試に向かう上でも十分耐えうる「正統な」ものでなければならない。

     

     

    前置き(!)が長くなったが、私が自塾の生徒たちの試験勉強で意識していることは、大学入試でも通用する「正しい」勉強方法を身につけさせるということだ。私が定期テスト対策として行っていることは、すべてその点に収斂されるように意識している。自分の指導の確認の意味も込めて、1つ1つ整理してみたい。

     

     

    「試験勉強会の長時間学習」―基本的に試験2週間前からの週末(たいてい試験まで2回ある)は学校がなければ9:30〜18:00くらいで試験勉強会を行う。休憩時間を除くと1日約7時間だ。これを「7時間も」ととらえるか「7時間しか」ととらえるかは生徒とその学年によって異なるが、学年が上がるにつれて「しか」に意識を変えていくことを意図している。果たして中3になると「先生、6時で終わりなんですか?その後は勉強できますか?」と聞いてくる生徒が何人もでてくる。

     

     

    生徒たちの意識がそのように変化するためには、試験勉強とは何を、どのくらいやるべきなのかを常に提示する必要がある。「試験勉強とはこういうもの」という意識の共有が、生徒たちの中に「もっと時間を」という意識を芽生えさせる。具体的には省くが、私は勉強に関しては常に数値を具体化して、生徒たちに必要な努力を呼びかける。もちろんいろんな生徒がいるわけだから中には「早く帰りたいオーラ」をだす生徒もいるが、教室の雰囲気を勉強とそこに向けた意欲に集約させるのは、指導者の持っていき方にかかっている。

     

     

    「勉強方法のレクチャー、チェックシートを使った『ゆるい』管理」―先に述べたように生徒たちは学校で詳しく勉強方法は教えてもらっていない。それならばきっちり教える必要がある。いわば勉強方法の雛形として、王道の勉強方法をレクチャーする。もちろんこの「王道」というのも私が考えた範囲でのもの、1つのモデルなので、結果を出したらそれぞれアレンジや工夫をするよう働きかける。自分で自分の勝ちパターンを作るイメージだ。例えば、「社会の教科書を読む」でも、私は回数や読み方を指導するが、生徒によってはそれを崩して「1回目はマーカーを引き、2回目はマーカーをカラー下敷きで隠し、記述しながら読む。それを3回繰り返す」などの工夫をする。結果が出ればそれでいい。ただし、教えられた勉強方法を実践せず自己流で結果が出ない生徒はきっちり矯正する。人間誰しも易きに流れやすいので、きつい王道学習より、自己流の楽な勉強に傾きがちだ。その点は見逃さず、見つけたら容赦はしない(笑)

     

     

    「チェックシート」というのは勉強方法と連動した「何をやったか」をチェックする作業確認用紙だ。学校では「勉強の記録」として勉強した教科と時間を記入する冊子が配られたりしているが、これは「何を、どれだけやらなければならないか、そしてそれがどこまで進んだか」が把握できない。その点をできるだけ可視化する(要するにやった・やっていないが一目瞭然になる)ためのものとして、チェックシートがある。

     

     

    「ゆるい管理」というのは勉強方法のところでも触れたことだが、方法にしても全体の把握にしても生徒それぞれに自分のスタイルというものがあり、何でもかんでも杓子定規に塾の指導に添わせるというのは、場合によっては角を矯めて牛を殺す的なことにもなりかねない。私は原則、「結果を出している(5教科450点以上)生徒は好きにやらせる」ことにしているし、自分で試行錯誤の努力をしている生徒にもあまり介入しない。失敗してもそれは成長の糧になるわけだから。ちなみに生徒たちには「結果を出していれば『試験勉強会には出席せずに家で勉強します』でもOK!」とも伝えてある。まあこれまでそうした生徒はいなかったけれど。

     

     

    「教科課題と学年でつける差」―進学塾Uineでは定期テストの過去問などもちろんやらせないが、準拠ワークや教科書英作文(英語の教科書の文章をすべて英作文する)などはやらせている。ただこれは結構塩梅が難しい。

     

     

    定期テストの勉強では、当然のことながら学校の教科書、授業ノート、ワーク、プリント類が主体となる。時々ワークがない教科があることもあるが、まあだいたいそれらは揃っているのが常だ。だからまずこうしたアイテムを使って完璧にすることが重要なわけだが、試験教科トータルで見たとき、塾で課す課題まで手が回らない生徒がでてくる(こういう生徒は当然学校の学習アイテムにもすべては手が回らない)。こういう生徒はプラスの学習として準拠ワークなどやる余裕がないので、自ずとスキップすることになる。ただ、それが常態化すると、「塾のワークはやらなくてよいもの」となってしまうわけで、はたらきかけや方向づけは簡単ではない。

     

     

    そんなこともあって準拠ワークに関しては生徒一人ひとりを見ながら対応を変えるという現状だが、教科書英作文だけは原則全員にやらせる。それも試験勉強の早い段階で覚えさせている。教科書を全部覚えるには単語や文法がきちんと分かっていないと無理なので、教科書英作文ができれば、英語の勉強はかなりのところまで進んだということになる。これを早めに仕上げられれば、他の教科の勉強にも余裕がでてくる。

     

     

    ただ、教科書英作文は中1,中2は全員課題だが、中3では原則希望者のみ。中3はすでに勉強方法がそれなりにできあがっているので、先に述べたようにそれぞれの工夫で結果を出せばいい。結果が出ないとあれこれ言われるけれど(笑)中3は準拠ワークに関しても中1,中2でやるような日時指定や範囲指定、回数指定でやらせたりすることもしない。自分で考えてやらせるようにしている。中3は自分で考えてやる勉強の仕上げの時期である。受験の結果を左右する大切な「自分の勉強スタイル」だ。責任をもって自分で作り上げるという意識を教室で共有するようにしている。

     

     

    若い頃は「定期テストは自分でちゃんとやれ。塾が多く関わることではない」的に考えていたこともあった。浅はかだったと思う。定期テストを通じて自分の勉強方法を作り上げることの重要性は、大学入試に強く関わるようになってより痛感してきた。予備校に出講していたとき、自習室で手持ち無沙汰な様子で虚空を見つめる生徒、手は動いているが意味のない勉強をしている生徒が目についた。彼らは中高で勉強に身を入れた経験に乏しく、どのように勉強をすればよいのか分かっていなかったのだ。週1回の関わりではほとんど何も教えてあげることはできず、歯がゆい思いも抱いた。自塾の中学生に、中学生時代からしっかりとした勉強方法を確立させる必要があると痛感した場面でもあった。

     

     

    定期テスト対策は目先の結果だけを求め、小手先の指導をしてはならない。禁じ手の「過去問」や対策プリントをドカドカやれば、結果は出るかもしれない。しかし、そんな風にして塾がかりの生徒にしてしまったら、その生徒のこれからの勉強は必ずや貧しいものになる。定期テストの指導は、生徒一人ひとりの勉強未来を切り拓くものでなければならない。

     

     

     

    | gen | 塾全般 | - | - | - |
    すべては言葉の問題〜文字式の表し方より〜
    0

       

      中1ショックとはよく言ったもので、うちの中1生も新しい勉強の数々に悪戦苦闘している者が多い。細かく事柄を上げたら色々あるが、そもそもなぜ中1になると勉強に苦労することがあるのだろう。定期テストの実施だとか教科の専門性(難易度)が上がるとか、また部活も含めた生活全般の忙しさだとか、勉強の内外にわたっての要因は色々思い浮かぶ。

       

       

      もう少し生徒一人ひとりに焦点をあてて注視してみると、やはりというべきか1つの傾向が見えてくる。ここで先日教室で見られた1つの例から考えてみたい。

       

       

      数学の「文字式の表し方」。ここは次の「文字式での表し方」への導入にあたり、×、÷の省略等について学ぶところだ。まあ小さい単元と言えば小さい。サッと終わらせて次に行きたいところではある。ただ、結構重要な問題も隠れていて、例えば次のような問題は必ずつまずく生徒が出てくる。

       

       

      5×(x+y)÷2 (文字式の表し方に従って書きなさい)

       

       

      これをやる前にルールとして「×は省略(数字→文字の順にする)」「÷は分数にする」「+−は省略できない(いじれない!)」「( )内の式は1つのまとまりと見る」ということを例題付きで解説してある。ここでの間違えパターンはいくつかあるが、例えば次のようなものをよく見かける。

       

       

      5×(x+y)÷2
      =5(xy)/2

       

       

      実はこの問題は全く手が付かない生徒もいて、そこには「項」の考え方についてまだ扱っていないという問題がある。(x+y)を1つのまとまりと見て×の省略はできても、その結果の5(x+y)をも1つのまとまり(つまり「項」)として見ることができず、÷2の分数化をどのようにしてよいのか分かず、手が止まってしまうのだ。これは仕方がないと言えば仕方がない。ただこの問題はここで取り上げたいことがらとは別なのでちょっと保留にしたい。私は机間巡視でこういう生徒がいたら、項という言葉は使わずに「5(x+y)は1つの数字や文字として考える」的な助言をするようにしている。

       

       

      ここで問題にしたいのは、「×の省略」と「÷は分数」はできるが、「×の省略」に「引きずられる」のか、+まで省略してしまっている点だ(間違いのパターンはいくつかあるが、ここでは+の省略を問題にしたい)。毎年必ず数人がこういう間違いをしてしまう。そしてそれは例外なく勉強が苦手な生徒たちだ。なぜこのようなことが起こるのだろう。

       

       

      一般的には、同時に行う処理が複数あると混乱してできなくなるという理由が考えられる。勉強が苦手な生徒、理解が中々進まない生徒というのはこの「複数同時処理」が苦手な場合が多いというのはよく言われるところだ。

       

       

      ではなぜ複数同時処理が苦手なのか。なぜ複数同時処理をしていると、関係ないことまで(ここでは+の省略)やってしまうのか。私はそれは「言葉が未熟だから」と考えている。「言葉を読む・聴く(インプット)」→「言葉を頭で理解する(脳内反復的イメージ)」→「言葉で理解した内容を作業として表現する(アウトプット)」という一連の回路が非常に未熟であるという点に、こうした問題は起因しているのではないか。冒頭で述べた「中学生になると勉強で苦労する」の中には、学習の抽象度、一般度が上がって言語(概念)による説明と理解が多くなった中学の勉強に、言葉が未熟な生徒はついていけないということがあると考えている。

       

       

      「言葉が未熟」な生徒の特徴の1つとして、「何度も聞き直す」というのがある。1対1で何か指示をするという直接のコミュニケーション、持ち物や課題についての単純な指示。それでもこちらが話を終えると「えーと、もう1回お願いします」と言ったりする。また、こちらが間違った問題について助言を与えたりしている時、まだ説明が終わっていないのに「ありがとうございました」と話を切ってしまうこともある。

       

       

      これはこちらが話している内容が「ただの音」としてしか伝わっていないからではないか。ただの音ならインプットして瞬時に頭で理解する作業に転換されないのは当然で、もう1度ゼロから入れ直さないと理解へと進まない。1回目は音として脳を起動させるだけの信号でしかなく、2回目でやっと理解への回路が開くと言ったら言い過ぎか。これは読むでも同様だ。目で読むというインプット作業から頭の中への理解へと瞬時に転換されないような間違えはよくある。とんでもない読み違いをしている生徒に「今ここでこの部分(読み違えている箇所)を音読して」と言って読ませると、「あっ!」と気づいたりする。

       

       

      こういう生徒からはたとえばこんな質問もよく出る。理科の教科書に「両生類は、幼生の時はえらで、成長してからはひふと肺で呼吸します」と書いてある。それを持ってきて、「先生、これは『両生類は幼生の時はえら、成長してからひふと肺で呼吸する』ってことですか?」的な質問するのだ。教科書やこちらが口頭で述べたことをほぼそのまま反復して「○○ってことですか?」と尋ねるのは、やはり1回目の読みがすぐに理解のチャンネルにつながっていないことの表れかもしれない(「幼生」や「えら」の意味を確認したいわけではないことは、確認済み笑)。

       

       

      文字式のルールは当然言葉で説明される。それがいくつもある。のっけからハードルが高い。例題と合わせてもすぐには得心できない。まだインプットだけの状態(頭が起動しただけの状態)なのだ。彼等が繰り返しのインプットで脳内反復の理解に進む前に、教室では問題演習に移る(特別早く進んでいるわけではない)。アウトプットできる状態になっていないのに問題に取り組めば、間違えるのが当たり前。「×?の省略?」程度の理解(頭の中では?がつく程度の雑な理解しかできていないイメージ)なら、×に表記の似た+も省略してしまうのではないかというのが、雑駁だが私が考えた間違いの経路だ。

       

       

      文字式の表し方程度のルールであれば、何度か練習すると習熟してできるようになる。繰り返す中で先に挙げたインプット、脳内反復による理解、アウトプットが整ってくるのだろう。これを「頑張ってできるようになった」はちょっとうまくない。本人の抱えている問題にはなんら働きかけられていないからだ。こういう生徒の「聴く」から、しっかりと改善を試みるのが指導者の役目だと思う。

       

       

      言葉を鍛えるのは生徒と触れている時間が長い御家庭が一番だが、私はこうした言葉が弱い生徒には、「聞き直しを禁じる」「説明したことをすぐに口頭で説明させる」「私に何かを伝えるときは、できるだけ端的な説明で伝えるように努力させる。何を言いたいのかこちらが理解できても、説明が稚拙なら何度でもやり直させる」などのコミュニケーションで改善を図っている。言葉はすべての学習の基本、土台なのだ。ここが向上しなければ学習効果は上がらないし、逆に言えば言葉がうまく使えるようになれば成績はどんどん伸びるはずなのである。

       

       

       

      | gen | 塾全般 | - | - | - |
      合格体験記〜慶應義塾大学編〜
      1

       

      慶應大学に合格したAさんが合格体験記を書いてくれたので紹介したい。Aさんは進学塾Uineが開校した2011年3月に新小学4年生として入塾してくれた、入塾順で言うと2番目の「古参」である。小学校時代はヘルメットをかぶり、小さな身体で小さな自転車に乗り休まず通ってくれた。小学校の卒業時には「先生、中学では1番にしてください!」と言ったことを今でも覚えている。その意欲通りに中学時代は地元中で常に学年1位を争い、高校は都立新宿高校に進学。ここでも高校生活をエンジョイしながら優秀な成績を修め、大学受験体制をスタートしてからは慶應を第1志望に据えて勉強に邁進した。その過程の一端は以下の体験記をご覧いただければと思う。

       

      Aさんは進学塾Uineが目標とする「自分で考えてする勉強」のもと地元小学校〜地元中学〜都立上位校と進み、そこから難関大学に合格するという1つの理想を体現してくれた。9年間、常に私の誇りであり、仕事における私の力を奮い立たせてくれた生徒だった。このような生徒を第一志望の大学に送り出すことができ、肩の荷が下りた思いがする。

       

       

      【慶應義塾大学 合格体験記】

       

      私が進学塾Uineに入塾したのは小学4年生の初めでした。小学校の時にどんな勉強をしたかはもうはっきりと覚えていません(笑)が、100マス計算などを一生懸命取り組んだ記憶があります。

      中学生の時はとにかく先生の言う通りの勉強メニューをこなし、毎日コツコツと勉強しました。日々の小テストを手を抜かずに取り組んだことで周りとの差をつけられたように感じます。定期テストでも先生の指導に従って勉強を続け、何度も学年1位を取ることができました。

      高校の第1志望は都立新宿高校に決め、中3の4月から受験を意識した勉強を始めました。新宿高校は自校作成校で数学や英語が難しかったですが、塾の自校作成対策講座を受講したことで難なく対応することができました。

      進学塾Uineの勉強は物量作戦ではなく、思考力を底から鍛え上げます。分からなくて質問してもすぐに答えを教えてくれることは基本ありません。自分の限界まで考えてそれでも分からなかった時に初めて教えてくれます。そのため思考力付き、応用的な問題にもしっかり太刀打ちできる実力をつけることができました。自分でいかに発想できるか。これは本当に重要だと思います。入試本番は1人で戦わないといけないし、高校の勉強は中学と比べて学習範囲が膨大になり、物量作戦が通用しなくなるからです。

      ここからは私の大学入試について話そうと思います。高2の冬休みに先生から「受験勉強は前倒しでやっておいた方が絶対いいよ。」と言われたことがきっかけで大学受験に気持ちを切り替えました。塾の非常勤の先生に慶應大学出身の方がいて慶應に強い憧れをもっていたので、絶対に現役で慶應大学に合格すると心に決めました。それまでは学校と塾の課題意外に特別な勉強はしていませんでしたが、本格的な日本史や英語の勉強に取り掛かりました。

      受験勉強を始めてからは学校の時間以外は塾でずっと勉強しました。先生が土日も朝から夜まで塾をあけてくれ、自習室も開放してくれたので抜群の勉強環境でしたし、Uineに通う友達もみんな塾で朝から晩まで勉強しているのでそれもいい刺激になりました。

      慶應の一般入試は小論文があります。これには中々苦戦し、初めは中々書けず制限時間の倍以上かけてやっとマスが埋められる程度でした。しかし、先生がピックアップした過去問で「合格答案」の評価が出るまでひたすら書き直しを続けた結果、徐々によいものが書けるようになりました。11月位から小論文に時間を取られ英語や日本史に割ける時間が減りましたが、受験勉強を前倒しでやったアドバンテージがあると思えたことが焦り防止につながったと思います。特に受験の直前期に毎日小論文の解説をしてもらったことは本当に効果的でした。いわゆる「書ける感覚」を持って入試に臨めましたし、その時解説してもらったものと類似の設問が実際に入試にも出たんです!

      2月の始めから入試が始まりました。2週間半ほど入試が続く中では精神的に本当に辛い時もありました。ある日の試験では、終わって1人で電車に乗ってる時「あの問題、間違えたな。あの1問のせいで落ちたらどうしよう。」など悪いふうにばかり考えてしまい、泣きそうになったこともありました。しかし、悪いことばかり考えていても何の得もありません。今までの受験生活で頑張ってきたことを自信に変えて頑張ろうと自分を奮い立たせました。

      思えばこの1年、学校がない日は1日
      14時間以上勉強したし、友達との約束もほとんど断った。大好きなバラエティ番組も全く見なかった。何十冊もの参考書をボロボロになるまでやりこみ、浪人生しか手が回らないことが多い日本史の用語集や英検1級の単語帳も全部暗記した。慶應の過去問も計30年以上やった。模試でもA判定を何度も出せた。ここまでやってきたので、入試直前は自分を信じてもいいんじゃないかなと思えるようになりました。

      慶應入試は緊張したというよりもむしろ楽しめました。やはり、今までやってきたという事実は1番の自信になるものです。リラックスして自分の力を最大限に出す、それだけを意識しました。入試本番、スラスラと問題が解けて、今までの努力が今この瞬間に生きてるということを本当に実感しました。

       


      迎えた合格発表。本当にドキドキしました。10時に発表だったのでギリギリに起きようかなと思っていたら8時半くらいに起きてしまって、待ってる間は気が気じゃありませんでした。スマホで合否確認ボタンを押して合格の文字が目に飛び込んで来た時は本当に嬉しかったです。あの気持ちの高揚は生涯忘れないと思います。結果を塾にすぐに報告したら電話越しに先生がとても喜んでくれて、さらに嬉しくなりました。

      慶應大学合格の要因には自分の努力もありますが、何よりも私を支えてくれた塾の存在が大きかったと思います。大晦日もお正月も自習室を解放してくれたりと最高の勉強環境が整っていましたし、また先生は毎日必ず励ましの言葉をかけてくれ、精神的にも強くサポートしてくれました。塾が全力で支えてくれたことが私の毎日の勉強の活力になった、これは間違いないです。

      進学塾Uineのように勉強を熱心に見てくれるだけでなく、精神的にもサポートしてくれる生徒思いな塾は他にないと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

       

       

       

      | gen | 合格体験記 | - | - | - |
      「合格」は誰のもの?
      0

         

        入試の結果がほぼ出揃った。SNSでも「合格」の2文字が躍り、昂揚感がPCやスマホの画面からも伝わってくる。「合格」の与えてくれる満ち足りた気持ちは、何とも形容しがたい。十全の肯定感と、戴冠して玉座に座るかのような、この世のすべての満足を手にしたかのような感覚に満ち満ちている。指導する我々においても、その何分の一かの「おこぼれ」に与って、幸せな気持ちになることができる。

         

         

        だから私は合格体験記を読むことが好きだ。他の塾のHPやブログで、幸せにはち切れんばかりの生(なま)の感情が表現された合格体験記を読んでは、幸せのお裾分けをしてもらったり、指導の参考にさせてもらったりする。それは指導する先生の指導や力量、生徒愛なども垣間見られる貴重な機会でもある。

         

         

        一方、これからは(もうすでに)塾のチラシで、HPで、そして教室の入口で、合格の「実績」が大きく掲げられることになる。翻ってこちらには、なんとも重苦しい、場合によっては腹立たしい気持ちが湧いてくることが多いのも事実だ。

         

         

        「合格」は最も端的な塾の顔でもある。―この塾はどの高校(中学・大学)に、何名合格したのか。上位校に合格する生徒が中心なのか、それとも中堅以下が主体なのか。都立と私立のどちらに「強い」のか。―「合格」は塾の指導力、その指導が得意とする対象などを如実に物語る。だから、新規入塾を考えている家庭や生徒はその「合格」をためつすがめつ比較し、通う塾を決めたりもする。

         

         

        合格した学校の名前や数が塾の生徒数を左右するとなれば、塾が合格の「実績」を大々的に掲げるのは必然だ。分かりやすい「宣伝」として合格は強い効力を発揮するわけだから、とりわけ上位校への合格や合格率は強調して掲げられることとなる。ちょっとはしたないと言えるくらい過剰なものも含めて。

         

         

        こんなコピーがある。―「全勝」「合格率100%」―毎年「全勝」なら、毎年「合格率100%」なら書いてもいいと思う(そんなことは特殊な進路指導でもしない限りありえない)が、仮に今年は全員合格でも、過年度は涙を飲んだ生徒もいるはずだ。都立は全員合格でも、私立(もちろん第1志望)が不合格だった生徒がいるかもしれない。宣伝商材として「全員合格」は効果を持つのかもしれないが、私には不合格だった生徒のことを慮れない無配慮なコピーにしか見えない。生徒や保護者への配慮をもった塾長や指導者は、仮に当該年度が「全勝」でも、決してそんな書き方はしないものだ。

         

         

        「大成功!」―誰にとっての「大成功」なのだろう。「大」と枕が付くからには、合格率や合格した高校のレベルが高いこと(それも複数)を指すに違いない。そしてそれはもちろん、塾にとっての成功だ。塾が、生徒たち一人ひとりの努力の過程とその結晶を、悩みに悩み抜いた結果としての人生の岐路を、「成功」などと表現してよいのだろうか。そしてまた、努力及ばず不合格だった生徒はその「成功」には含まれていない。

         

         

        「成功」という表現の裏には「不成功(場合によっては「失敗」)」が確実に存在する。今年は成功だったが、年によっては「不成功」「失敗」ととらえるような「実績」もあるわけだ。受験の結果を「成功」「勝利」などとする言葉づかいには生徒指導と受験に対する本音、本質が宿っている。

         

         

        合格は生徒たち一人ひとりのものだ。そこに敬意や尊重を欠いてはならない。我々は生徒たちの人生の一時の随伴者に過ぎないのだ。生徒たちの合格を我々の都合という手垢にまみれさせてはならないと、今改めて強く思う。

         

         

         

        | gen | 塾全般 | - | - | - |
        疲労困憊〜2020年度入試総括〜
        0

           

          今日は3月4日、まだ国立大学が残っているのだけれど、今日から新年度の開始なので一つの区切りとして2020年度入試を総括しておきたい。

           

           

          今年は本格的な大学入試指導の最初の年だったのだが、とにかく消耗した(私が・笑)。ちょっと弱音を吐けば、いかに小規模な個人塾とはいえ、高校入試、大学入試を両方やるのは本当に大変だった。もちろんそれは十分に予測していたことであり、事前にあれこれ指導法や非常勤の役割分担など勘案したつもりだったが、やはり始めてみると熱も入るし、思ったようにいかないことも多い。生徒たちの学力も、うまくいったところ、いかなかったところと様々で、大学入試の難しさを改めて実感した初年度となった。

           

           

          改めてふり返ってみると、希望通りの結果が出た生徒より、よい結果が残せなかった生徒のことばかり考えてしまう。詳しくは改めたいが、今年の入試を通じて痛感した大学入試を乗り切るキーワードとして「知的なものへのアクセス感覚」を挙げてみたい。「知的なものへのアクセス感覚」とは、端的にいえば「勉強楽しい」「勉強って自分のためになる」的な、勉強に鼓舞されてさらに先に進む感覚とでもいえばよいだろうか。いわゆる「知的好奇心」を分解して要素に分けた時、勉強そのものへと自分を向かわせる、知的興奮のようなものをイメージしている。

           

           

          「大学という高等教育の場へ向かう者として、あなたは『知的なもの』が好きですか?文系なら、本を読んで感動したことがありますか?未知の知識や考え方に触れて、胸がときめきますか?理系なら、数学や理科の勉強を通じて、世界のありように接近するワクワク感を得られていますか?」

           

           

          こういう問いに「Yes!」と答えられる感性が、大学受験には不可欠だと思う。もちろんこういうものをほとんど素通りしてもなおハイレベルな結果を出す「地頭受験勝者」もいるにはいるが、進学塾Uineに通うような「普通の生徒」が、それらを欠いたらまず結果は出ないということを痛感した1年だった。そしてこれは、中高生に塾での指導をもってして身につけさせることが非常に困難な感覚だということも。

           

           

          高校入試。昨年は退塾者が多く苦しい学年だったと総括でふり返った(こちら)が、今年はうって変わって、小4からの退塾者は2名のみ(1名は引っ越しによるやむを得ない退塾)で、まとまりのある学年運営ができた。とはいえ、進学塾Uineにおけるこういう学年の常として、「のんびり」「依存度強め」という雰囲気が中3の夏を過ぎても払拭できず、そういう点ではこれまた非常に厳しさをもった学年でもあった。

           

           

          私が高校入試の指導で一番心がけているのは「塾がかりにしない・自分で考えて自ら動く勉強をもって、高校入試を突破する」ということ(要するに「自立・自律型の学習習慣」を身につける)だが、今年の中3生は全然自分から動かない。指示されたことも最低限しかやらない。中1、中2範囲の理社復習演習など、夏休みまでかかってほとんど進んでいない生徒もいたくらいだった。

           

           

          雰囲気が変わってきたのは11月の最後の定期テスト終了後から。危機感をもった生徒が夕方自習にやって来はじめ、それが2人になり、3人になり…と波及していった。年が明けた頃にはほとんどの生徒が自習に来塾するようになり、最後の模試で偏差値を爆上げする生徒も出た。直前期はそれこそ塾に入り浸りになっているような状態で、成績も安定して本番に臨める生徒がほとんどになった。

           

           

          高校入試をふり返ると、東京都の私立高校助成による影響はやはり大きいのか、進学塾Uineでも例年以上に私立を第1志望とする生徒が多かった。ただ、こと私立の一般入試(フリー受験)に関しては難しさを感じることも多い。私が(トップ私立ではなく)偏差値60前後の私立に感じる「難しさ」とは、偏差値や合格最低点だけでは測れないなにがしか=ブラックボックスの存在を感じざるを得ないところに起因している。

           

           

          私立一般受験(フリー受験)には内申書は関わらないというのが大筋の理解だろう。都立は内申が点数化されるが、私立はそれから自由になれる。純粋な実力勝負。そう考えるのが通常だと思う。

           

          ただ、塾の先生なら感じている方もいらっしゃるだろうが、昔から私立フリー受験では、偏差値的には十分足りていて過去問演習における点数も十分合格ラインを超えている(だろう)レベルで得点できているのに、本番の手応えも過去問演習と変わらない出来(であろう)なのに、不合格になるケースがある。これはおそらく内申書を合否判断に利用しているのだろうと思っている。

           

          一番分かりやすいのは「遅刻/欠席」で、これはおそらく、かなり大きな要素になっている。中には遅刻や欠席が一定数以上の場合はおそらく採点すらしていないのだろうと思われる高校もある(募集要項に「遅刻欠席重視」と書いてあり、かつクラス数の多い大規模校など)。「遅刻欠席は集団生活の秩序に関わるから重視するのは当然」といえばそうなのだが、明確な基準が公にされていないのなら、それは公平性に欠けるのではないか。私立フリー受験における最大のブラックボックスは、内申書の扱いだと思う。

           

           

          また、私立は面接もあるところが多い。学校が何を確認するために、何を求めて面接をするのか、実は詳細は分からない。我々は面接練習では「予想される質問内容はしっかり準備」「ハキハキと」「分からないことは分からないと言う」などを意識させて練習するが、たとえば学校が「自校が大事にしているカラーに合う生徒」を求めていたりする場合は、準備のしようがない。面接もまたブラックボックスであると言える。

           

           

          ここには書けないが、受験生の不安な心理につけ込んだようなはたらきかけをしてくる私立もあって、いまだ憤りが収まらないところもある。私学なのだから選抜の方法は自由といったらそれまでだが、私立フリー受験には都立のような透明性がないこともありうると、改めて感じる次第だった。

           

           

          受験は結果を求めるものだが、誰にでも結果が手に入るわけではない。だからこそふり返った時、結果は手に入らなかったけれど自分の受験は悔いのないものだったと思えるようにしようというのが、私がずっと生徒たちに呼びかけていることだ。その声が全員に届いたかどうか、まだまだ心もとなく私の未熟を晒す受験となったが、進学塾Uineで受験した生徒たちが無事に新しい生活に足を踏み出してくれることを祈って、今年の受験の総括としたい。

           

           

           

          | gen | 塾全般 | - | - | - |